レジデンシー・東京
ホーム » CFMD レジデンシー紹介 » レジデンシー東京 » 【連載】家庭医になった先に~CFMDレジデンシー修了後に歩んだ道~
直感と構想力で切り拓く家庭医療の未来
CFMD東京 一期生・横林 賢一 先生インタビュー
■ 略歴
2003年 麻生飯塚病院 初期研修医
2005年 麻生飯塚病院 内科専修医
2006年 CFMD 家庭医療学レジデンシー 家庭医療後期研修医(チーフレジデント)
2009年 日本生活協同組合連合会 在宅医療フェローシップ・東京 在宅フェロー
2010年 広島大学病院 総合内科・総合診療科 助教/家庭医療後期研修プログラム プログラム責任者
2013年 広島大学大学院 医学博士号取得
2014年 広島大学病院 総合内科・総合診療科 診療講師
2015年 ハーバード公衆衛生大学院(アメリカ) 客員研究員
2017年 Western大学大学院(カナダ) 家庭医療学修士課程入学(後に中退)
ほーむけあクリニック 開設・院長(現職)
広島大学病院 総合内科・総合診療科 臨床教授(現任)
■ 主な受賞歴
2007年 Best Teaching Pearl賞, 第15回日本総合診療医学会
2010年 優秀ポートフォリオ, 日本在宅医学会
2011年 日野原賞(学会賞), 第2回日本プライマリ・ケア連合学会
2015年 第33回広仁会賞, 広島大学
2017年 第19回修道医会学術奨励賞
CFMD家庭医療学レジデンシーのチーフレジデントを経て地元・広島に戻り、広島大学病院 総合診療科でプログラムを立ち上げ、海外留学を経て、2017年にほーむけあクリニックを開設した横林賢一先生。直感を起点に、構想を一つずつ形にしてきた先生に、家庭医療との出会いから、クリニック開設の構想、海外で学んだこと、そしてこれからジェネラリストを目指す若手へのメッセージまで、お話を伺った。
家庭医療との出会い
僕の家族や親戚には医師がいなかったのですが、子どもの頃から、なんとなく「学校の先生か医者になりたいな」と思っていました。姉が学校の先生になったこともあって、僕は医者の方を目指してみようかなと。また、いろいろな職業をどれも面白そうだと思うタイプだったので、医者ならさまざまな職業や背景を持つ人と関われるのもいいなと思ったんですね。
いわゆる臓器別の専門医として一つの領域を極めるというより、幅広く人の人生に関わっていくスタイルの方が自分には合っていそうだと感じていて、なんとなく「町医者になりたい」というイメージで大学に入りました。
ただ、当時は「町医者は、専門領域で経験を積んだ後にやるものだ」といった考え方も強く、僕もそういうものなのかなと思いつつ、「でも、自分がやりたいのはそっちなんだけどな」と感じていました。まずは目の前の患者さんをしっかり診られるようになりたいと思い、初期研修先には飯塚病院を選びました。多くの症例を経験でき、教育体制も整った病院でした。
研修中は救急科や循環器内科も楽しく、進路として考えていました。ちょうどその頃、アメリカから来た家庭医の先生の講演を聞く機会があったんです。その話を聞いて、「あ、自分がやりたかったことには、家庭医療という名前がついていたんだ」と初めて知りました。そこから、家庭医を目指したいと思うようになりました。
ほーむけあクリニック
CFMDへ ── プログラムを作る側に立つために
当時、家庭医療の主な研修先として知られていたのが、藤沼康樹先生のCFMD東京(王子生協病院・生協浮間診療所)、岡田唯男先生の亀田ファミリークリニック館山、そして草場鉄周先生の北海道家庭医療学センターでした。皮膚科医である妻とも相談し、最終的に藤沼先生のところ、現在のCFMD東京に決めました。
僕には、「良質な家庭医になる」ことに加えて、もう一つ構想がありました。僕や同期の渡邉先生、齋木先生は家庭医療専門医の一期生の世代で、当時はまだ家庭医が少なかった。自分が家庭医として診療するだけでなく、家庭医を育てるプログラムをつくりたいと考えていたんです。
将来は広島に戻ってプログラムを立ち上げたい。そのために、プログラム責任者がどのように研修環境をつくり、運営しているのかを間近で学びたい。そう考えて、藤沼先生のいる生協浮間診療所を所属診療所に選びました。
家庭医療の主な実践の場は診療所であり、大学はそこから少し離れた場所でもあります。一方で、家庭医療を一つの文化として広めていくことを考えると、多くの学生や研修医が集まる大学には大きな意味があると思いました。大学で家庭医療に触れる機会をつくることで、より多くの人にその考え方を伝えられる。診療の場としてではなく、文化を育てる場として、大学が適しているのではないかと考えたんです。
「大学で家庭医を養成するプログラムをつくる」ということは、研修を始めた時点から決めていました。
直感と構想力で切り拓く家庭医療の未来 -2
広島大学で ──大学の中で家庭医療を形にする
── 広島に戻られてからは、大学でプログラムを立ち上げつつ、ご自身も社会人大学院生として研究をされていますね。
大学の中で家庭医療を広げていくには、「家庭医療はすごいんですよ、面白いんですよ」と言っているだけでは、なかなか説得力を持ちにくいんですね(笑)。大学人として、研究や教育の実績を積む必要があると考えていました。科研費を二つ取得し、教員として勤務しながら、社会人大学院生として研究にも取り組みました。
振り返ると、CFMDのリサーチフェローシップで、東京慈恵会医科大学の松島先生から研究のご指導をいただいたことは、とても大きかったです。広島大学の総合診療科では、それまで学位取得につながる研究は主に基礎研究が中心でしたが、僕は臨床研究で学位を取得することができました。結果として、総合診療科における臨床研究の一つの前例になったのではないかと思います。
また、「同じ釜の飯を食う」というか、大学の中でみんなと同じ土俵に立つことも大事だと思っていました。家庭医療専門医は、医療関係者以外にはまだイメージされにくい一方で、医学博士という肩書きは比較的伝わりやすいですよね。医療関係者以外の方と仕事を進める際には、自分の専門性や積み重ねを伝える共通言語があった方がよいと考えていました。
在宅医療専門医についても同様で、「在宅医療の専門家」であることが伝わりやすく、今後の連携にも役立つと思いました。もちろん、資格のためだけではなく、在宅医療そのものをより深く学びたいという思いもありました。先々を考えながら、その時にできることには積極的に取り組むようにしていました。
海外へ ── ハーバード、そしてカナダ
── ハーバード公衆衛生大学院に研究員として行かれた経緯を教えてください。
クリニックを開設するにあたって、建物の中にJaroカフェ(https://www.jarocafe.net)というコミュニティスペースを設けたいと考えていました。診療そのものを行う場所ではなく、地域の人が集まり、交流したり、さまざまな活動をしたりするための空間です。
ただ、クリニックを建てるには大きな借入が必要です。その中で、直接的には収益を生まないスペースをあえて設けるのであれば、それが本当に必要で、人の健康や暮らしに意味のあるものだと、自分自身が納得できるだけの根拠を持ちたいと思っていました。
人と人とのつながり、いわゆるソーシャルキャピタルが、人の健康や幸福に良い影響を与えることは、文献では知っていましたし、実感としてもありました。ただ、それをもう少し深く学び、自分の中で確かなものにしたいと考えたんです。
そこで、SDH(健康の社会的決定要因)やソーシャルキャピタル、行動経済学を専門とするイチロー・カワチ先生のもとで学びたいと思いました。当初は大学院生としての留学を視野に準備していましたが、紆余曲折を経て、研究員として留学できることになりました。
現地では、授業や研究を通じて、社会経済的な格差があったとしても、人とのつながりが豊かであれば、健康や幸福に良い影響を与え得ることを学びました。また、行動経済学の考え方を用いることで、政策のような大きな枠組みだけでなく、僕たちのような地域の医療機関でも、人の行動や健康に働きかけることができると感じました。
Jaroカフェのような場をつくることには意味がある。そう自分なりに納得できたことが、留学で得た大きな収穫でした。
── その後、カナダのWestern大学大学院にも進学されていますがその経緯も教えてください。
クリニックを開設して院長業が始まると、マネジメントに追われて、家庭医療そのものを体系的に学ぶ時間が取りにくくなるだろうと思っていました。だから、あえて自分を学びの場に置いておいた方がいいだろうと考えて、家庭医療学の修士課程に進みました。
ただ、クリニックの開設と院長業を担いながら大学院で学び続けることは、想像以上に大変でした。1年間取り組んだところで家族とも相談し、クリニックの運営に責任を持つことを優先して、中退することにしました。
大学院で得た学びは大きかったですし、それまでCFMDや慈恵医大で学んできたことが、改めて自分の土台になっていることにも気づけました。後悔はありませんが、院長業と大学院の両立は本当に大変だったので、あまり真似はおすすめしません(笑)。
Jaroカフェ
直感と構想力で切り拓く家庭医療の未来 -3
ほーむけあクリニック開設の原点
ほーむけあクリニックは、CFMDにいた頃の在宅医療の経験が大きく影響しています。ある在宅患者さんが肺炎からなんとか助かったときに、ご家族から「先生、また今回も助かってしまうんですね」と言われたことがあります。介護が本当に大変だったのだと思います。だから、介護者のケアが大事だと痛感しました。ねぎらいの言葉をかけるだけでなく、本当に介護者が楽になるためには、物理的に離れる時間を作ることが大切だと思いました。それで、クリニックに病床を持ちたいと考えました。
もう一つ覚えているのが、がん末期の患者さんです。ある病院に入院中で、余命は1か月程度と見込まれていました。旦那さんが作ったペンションに、亡くなる前にもう一度行きたいと希望されていましたが、病状から実現は難しいと考えられていました。その後、ご本人の意思で在宅療養に移り、僕たちが関わることになりました。旅行会社に連絡して酸素業者を手配し、ペンションに行くことができました。そして帰宅後、自宅で亡くなられました。
「病気があってもなくても、障害があってもなくても、旅行に行きたいとか、おいしいものを食べたいとか、孫の結婚式に行きたいという思いはみんな一緒なんだ」と強く感じました。そういうことができる体力のある組織を作りたいと思うようになりました。医療法人の枠内ではできることに一定の制約があるので、いずれは別に株式会社を立ち上げて、そうした事業にも取り組みたいと思っています。病気や障害があっても、やりたいことを諦めなくてよい世の中にしたいですね。
また、持続可能な診療体制をつくるために、開設当初からグループ診療にしたいと考えていました。
在宅医療フェローシップ中には、1か月間、アメリカの家庭医療の先進的な拠点の一つであるオレゴン健康科学大学(OHSU)を見学しました。そこのクリニックは、診察室を多く設け、患者さんやご家族が部屋で待ち、医師や看護師が各部屋を回るスタイルだったんです。ほかにもいくつかの家庭医療クリニックを見学しましたが、見学した範囲では同様のスタイルが採用されていました。これは感染対策にも待ち時間の短縮にもなる、「絶対これだ」と思いました。ですから、うちには診察室が7部屋あります。
OHSUでもう一つ印象的だったのが、リサーチの仕組みです。大学で研究に携わる家庭医療の研究者と、市中で診療する家庭医が定期的にミーティングを行い、現場で生まれたリサーチクエスチョンを研究に発展させていくんですね。現場の家庭医が問いを出し、データ収集に関わり、大学側の研究者が研究デザインや解析、論文化を支援する。その仕組みの中では、現場の家庭医が筆頭著者となり、大学の研究者が責任著者として支える形も取られていました。これは「めっちゃいいな、これ」と思って、いつか自分も作りたいと、その頃から考えていました。
それが今、広島でも少しずつ形になりつつあります。例えば、CFMDで後期研修を行い、慈恵医大の松島先生のもとで研究のトレーニングを受けた吉田秀平先生が、現在は広島大学で研究にも取り組んでいます。今後、ほーむけあクリニックのような診療現場と大学の研究がつながり、現場の問いを一緒に研究へ発展させていければと考えています。
CFMDで見聞きしたことや、そこから派生して得た経験がヒントになっていることはたくさんあります。当時の経験がなければ、今のクリニックのスタイルにはなっていなかったと思います。
カープ部屋
ある1日、ある1週間
■ 1日のスケジュール(火曜日の例)
| 曜日 | 業務 |
|---|---|
| 8:45〜9:00 | 在宅ミーティング |
| 9:00〜13:00 | 外来 |
| 13:30〜14:00 | オレンジミーティング(認知症初期集中支援チームの事例検討) |
| 14:00〜14:30 | 病棟ミーティング |
| 14:30〜15:00 | ブロックタイム(15分の昼寝で頭をリセット) |
| 15:00〜18:00頃 | 訪問診療 |
(14:30〜15:00はブロックタイム。15分の昼寝で頭をリセットするのが習慣)
■ 1週間のスケジュール
| 曜日 | 業務 |
|---|---|
| 月 | 午前外来、午後訪問診療 |
| 火 | 在宅ミーティング → 外来 → オレンジミーティング → 訪問診療 |
| 水 | 医師ミーティング(困難事例) → 外来→幹部ミーティング /多職種事例検討会 |
| 木 | 在宅ミーティング → 午前午後外来 |
| 金 | 医師ミーティング(専攻医振り返り) → 外来→訪問診療 |
| 土 | 隔週で外来 |
(平日は子どもの習い事の送迎、週末は家族との時間を大切にしている。週1回のテニスでは、仕事以外の友人との交流も楽しんでいる)
──激務ですね。どのようにしてバランスを保っているのでしょうか?
開設当初は医師3人で始めましたが、現在は非常勤2人を含む8人の医師で診療しています。また、さまざまな職種のスタッフが、それぞれの専門性や役割を発揮して支えてくれています。DXを含めた業務改善も継続し、誰がどの役割を担うことが、患者さんや地域にとって最もよいのかを見直してきました。その結果、診療の負荷は以前より軽くなっています。
一方で、院長として日々さまざまな判断を求められるため、管理職としての「判断コスト」は大きいですね。そこで、外来、在宅、病棟といった診療の場や、職種ごとの部門長にできるだけ権限を委譲しています。多くのことを各部門で考え、判断してもらうことで、僕自身も、自分にしかできないことに集中できるようにしています。
立ち上げ当初は何でも自分でやろうとしていたので、その頃の方が大変だったかもしれません。無理をして一時的に頑張るのではなく、職員も僕自身も無理なく長く続けられ、患者さんに必要な医療を持続的に提供できる組織にしたいと思っています。
平日の昼には30分のブロックタイムを設けてもらい、15分ほど昼寝をして頭の中をリセットしています。
また、家族(3人の子どもと妻)との時間も大切にしています。子どもたちは高校生、中学生、小学生で、どんどん大きくなっていきます。それぞれの「今」は今しかないので、本当に貴重です。月曜日と水曜日の夜は子どもの習い事の送迎があり、火曜日は待機当番、木曜日は比較的自由に使える日、金曜日はテニスです。テニスでは、仕事とは別のつながりでできた友人たちと話す時間も楽しんでいます。平日に飲みに行けるのは木曜日だけなので、お誘いは木曜日にお願いします(笑)。
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CFMDで得たもの ── 先人たちへの恩返し
僕は家庭医療専門医の一期生の世代ですが、逆に言えば、僕たちの世代には「家庭医療専門医」として認定される研修プログラムがすでに用意されていたわけです。藤沼先生をはじめ、それより上の世代の先生方は、まだ制度も十分に整っていない中で、家庭医療の必要性を信じ、実践と教育の場をつくってこられました。だから、その人たちへの恩返しをしないといけないという思いは、実はずっと持っています。
家庭医のトレーニングを受けていると、その世界の中では「大切なことをやっている」と感じられます。でも、家庭医ではない友人に「何をしているの?」と聞かれて家庭医療の話をすると、「それって保健室みたいなもの? 医者でなくてもできるんじゃない?」と言われることもありました。
だから、半日でも家庭医のクリニックで過ごしてもらえれば、「家庭医療ってこういうことなのか」と実感してもらえる。そういう空間と時間をつくりたいと思っていました。その構想を、自分なりに形にしたのが今のほーむけあクリニックです。
CFMDで得た経験は本当に大きなものでした。藤沼先生をはじめとする指導医や研修環境にはもちろん感謝していますが、それと同じくらい、同期や、看護師、事務を含む多職種の皆さんにも感謝しています。
CFMDのある医療生協には、患者さんの背景や抱えている困難にかかわらず、できる限り分け隔てなく診ようとする姿勢がありました。経済的な困難を抱えている方、家庭内暴力の被害に遭っている方、医療との関わり方に難しさを抱えている方など、さまざまな事情のある患者さんを組織として支えようとしていました。その姿勢がとても素晴らしく、今でも好きだなと思います。
飯塚病院では、多くの症例を経験しながら、整った教育システムの中で総合的な臨床力を鍛えることができました。その後、CFMDでは、患者さんが暮らす現実の社会に向き合う仕事を、多職種の仲間と「大変だね」と言い合いながら経験しました。キャリアの早い時期に、この両方を経験できたことは、家庭医としての自分にとって本当に大きかったと思います。
そうした環境をつくってくださった先人たちに、次の世代を育てることで恩返しをしたい。今も、そんな思いで仕事をしています。
ジェネラリストを目指す皆さんへ
── 最後に、ジェネラリストを目指す医学生や研修医の方へ、メッセージをお願いします。
「自分の直感を信じる選択ができるように、能動的に動く」ということですかね。
もちろん、選択の理由を考えることも大切です。ただ、いろいろ考えたうえで最後に迷ったときは、「自分はどちらに心が動いているか」という感覚を大事にしてもよいと思っています。どちらを選ぶか決めきれないときには、少し挑戦のある方を選んでみてもいいんじゃないか、と伝えることもあります。
ただ、その「こっちがいい」という感覚を持つためには、いろいろな世界を見て、いろいろな人に会っておくことが大切だと思います。同じ人とだけ会い、同じ環境の中だけで過ごしていると、どうしても現状維持の方向に気持ちが傾きやすくなります。
特に20代、30代のうちに、いろいろな場所に行き、さまざまな人に会ってほしいと思います。年齢を重ねてからいろんなものを見聞きしても「どこかで見たものと似ているね」というフィルター越しの感想になってしまいます。若い時期だからこそ受け取れる驚きや感動もあると思うんです。
だから、直感を信じられるだけの経験を増やすために、まずは自分から動いてみる。ジェネラリストを目指す皆さんには、これを伝えたいですね。
地域に根ざし、世界を俯瞰する家庭医として
CFMD東京 一期生・渡邉 隆将 先生インタビュー
■ 略歴
2006年 王子生協病院初期研修 修了
2009年 CFMD 家庭医療学レジデンシー・東京 修了
2009年 CFMDリサーチフェローシップ 開始
2010年 北足立生協診療所 所長(現職)、兼、指導医
2017年 東京慈恵会医科大学総合医科学研究センター臨床疫学研究部 博士(医学) 取得
2019年 第10回日野原賞受賞
(現任) 日本医療福祉生活協同組合連合会 家庭医療学開発センター(CFMD) 副センター長 / PBRN運営委員長
2009年、家庭医療学会主導の家庭医療専門研修プログラム第1期生としてCFMDを卒業し、現在は東京都足立区の北足立生協診療所所長を務める渡邉先生。診療所長、指導医、プラクティス・ベースド・リサーチ・ネットワーク(PBRN)の責任者として、臨床・教育・研究の三本柱を実践し続けてきた。日本のプライマリ・ケア研究を牽引する一人である先生に、家庭医療との出会いから、診療所で研究を続けるための条件、これからジェネラリストを目指す若手へのメッセージまで、じっくりとお話を伺った。
家庭医療との出会い
僕自身が医者になることを目指したとき、「地域の中で働いていて、困ったときに相談に乗ってもらえるような町医者になりたい」というイメージを持っていたんですね。だからなんとなくデフォルトで考えていたイメージは、一番家庭医療に近かったと言ってもいいかなと思っています。
ただ、実際に大学に進んでみると、その当時は総合診療科というものもなかったので、自分が思い描いていた医師像というのは基本的にどこにもなくて。それに少し近いものを見ようと、一時は子供と家族全体を見られる小児科に関心を持っていた時期もありました。
そんなときに、どこかで「家庭医」という単語を耳にすることがあって。「ああ、僕がしたかったのはこの家庭医療だったんだ」と、自分が描いていたイメージに名前が与えられた、という感じでした。確か医学部の5年生のときだったと思います。
CFMD一期生として ── 初期研修からの流れ
僕は2004年に慶應義塾大学を卒業して、王子生協病院の初期研修プログラムで2年間の初期研修を行いました。当時、日本国内では、藤沼先生がいる王子生協病院(東京)、岡田先生がいる亀田総合病院(千葉)、それから当時葛西先生がいた日鋼記念病院(北海道)──後に福島へ移られましたが──その3箇所が、家庭医の教育に力を入れている施設だと認識していました。
初期研修先を探す中で、初期研修中から実際に家庭医療に触れることができて、医師だけではなく、地域医療に関わる様々な多職種と協働しながら学ぶことができる──そこを大事にした結果、藤沼先生のいる王子生協病院が一番あっているだろうと判断しました。
ちょうど僕の代から、後期研修制度が全科で一斉に始まったタイミングでした。それに合わせて、当時の家庭医療学会が主導する家庭医療専門研修プログラムの枠組みが作られ、僕は藤沼先生が立ち上げたプログラムである「CFMD家庭医療学レジデンシー・東京 」の一期生として専門研修を開始しました。3年間の研修を経て2009年に卒業。同期は僕の他に2人、合計3人の卒業生でした。
臨床・教育・研究 ── 三本柱を実践しながら
卒業後は、現在も勤務している北足立生協診療所の所長として仕事を開始しました。同時に、CFMDがリサーチフェローシップを立ち上げることになり、その一期生として参画しました。
リサーチフェローシップは、藤沼先生が東京慈恵会医科大学と直接契約を締結する形で作られたフェローシップで、僕は社会人大学院として、総合医科学センター・臨床疫学研究部に入って、プライマリ・ケア研究を学ぶというコースに進みました。専門研修3年を終えた後、所長として診療をしながら、リサーチフェロー兼社会人大学院生という形で並行して進めていった、という流れです。
配属されるレジデントの指導も並行して担っていたので、診療・教育・研究を実践し続ける形になりました。
── 当時、臨床・教育・研究の時間配分はどのような割合でしたか?
体感ですが、6対2対2ぐらい、あるいは5対3対2ぐらいだったと思います。研究にあてていたのは、全体の中で2割ぐらいでしたね。
研究日として金曜日が丸一日プロテクトタイムとして与えられていたので、その時間と、会議のない夕方の時間を使って研究を進めていました。ただ、ちょうどリサーチフェローになった頃に第一子が生まれたため時間の捻出が難しく、プライベートと仕事のバランスを取りながらという形になっていましたね。
アカデミアでも開業でもなく ── 今の場を選び続ける理由
── これまでに、アカデミック・キャリアに進むことや開業を検討された時期はありましたか?
ありましたよ。一つはアカデミック・キャリアに進むという方向性。もう一つは、開業して、自分が思い描いているような医療を実際に具現化するという道。そういったお誘いをいただいたフェーズもありました。
── それでも今の場を選び続けてこられたのは、どうしてでしょうか?
一番の要因としては、自分自身がきちんとプライマリ・ケアを提供する場にいること自体が、自分にとってすごくポジティブな経験に感じられるということなんですね。アカデミアに行くと、直接ケアをすることがどうしても少なくなる。例えば週に1回といった関わり方になるんですけど、その状況だと、「一家庭医として地域の中で働きたい」という自分の中の核の部分が、ちょっと満たされないなと感じたんです。
開業については、開業すると自分が思い描く医療をダイレクトに具現化できますが、運営やマネジメントにより多くのエフォートを割かなければならなくなります。今の僕としては、リサーチを進めたり、コラボレーションを整えたり、教育をしたり、臨床に従事したり──それぞれに自分のエネルギーの大半を投じたいという思いがあって。組織自体を立ち上げてマネジメントするという方向には、向かなかったということなんだと思います。その結果として、現状のキャリアを維持しているというところでしょうか。
CFMDの研修で得たもの ── 協同的な学びと、伴走者としての立ち位置
── CFMDのレジデンシーを通じて、今のご自身を作ったと感じる経験はありますか?
いわゆるリフレクション、「振り返り」のことと、もう一つはコラボレーティブな学び、「協同的な学び」というところです。コンペティティブな学び、つまり「競争的な学び」ではない「協同的な学び」、そこは、僕が医師になってからかなり強く形作られた要素ではないかなと思っています。
自分個人が良いパフォーマンスを示すというだけではなくて、チーム全体の中でお互いに学びを深めていく。チームとしての学びが深まって、お互いに成長していく。そうしたあり方が重要だ、ということを研修中にずっと言われ続けていました。
これは、家庭医療やプライマリ・ケアを提供するときに、地域の中で「突出して健康度の高い集団」を作り上げるのではなく、「全体の健康度を底上げしていく」というボトムアップの思考にも近いんですね。全体で水準を高めていく、その輪の中にいる、その輪を維持しながらより高い水準に持っていく──そういうことを意識する感覚は、研修中に特に醸成されたと思います。それまでの学生教育の中ではどちらかというと競争的な環境で育ってきていたので、CFMDの中でより磨かれたのかなと。
もう一つ、CFMDの研修プログラムの特徴として、自分のホームになる診療所を決めて、そこで継続的に診療を続けるという点があります。一つの診療所で3年間継続して関わり続けることで、患者さんの成長や変化に、お互いに伴走しながら経過を見ていく機会に恵まれました。それは今も、自分自身が家庭医として地域の方たちの長い時間経過の中で、伴走者としてそばにいる──そういう立ち位置を作ってくれたものじゃないかなと思っています。
ある1日、ある1週間
典型的な1日と1週間のスケジュールは、以下のとおりです。
■ 1日のスケジュール
| 時刻 | 内容 |
|---|---|
| 8:00過ぎ | 出勤。レジデントの体調を雑談しながら確認 |
| 8:50 | 朝礼 |
| 9:00〜12:00 | 午前外来(レジデントのサポート中心) |
| 昼 | スタッフ全員でカンファレンス |
| 午後 | 午後外来 |
| 外来後 | レジデントの外来振り返り |
■ 1週間のスケジュール
| 曜日 | 日中 | 夕方〜夜 |
|---|---|---|
| 月 | 診療所(外来・指導) | 法人の各種会議 (理事長室会議/在宅部門会議/診療所統括会議) |
| 火 | 診療所(外来・指導) | 法人の在宅医療当番 |
| 水 | 診療所(外来・指導) | 介護認定審査会(隔週) |
| 木 | 診療所(外来・指導) | レジデントデイ(月2)/職員会議(月1)/研究ミーティング/ CFMD運営委員会・指導医教育(FD) (月1) |
| 金 | 午前:CFMD卒業生のクリニックで外来サポート | 【研究日】午後:研究室で研究時間 |
| 土 | 隔週で外来担当 | ― |
所長兼指導医という立場ですが、自分が定期でずっとフォローし続ける患者さんはかなり絞っています。そういう方々は基本的には若いレジデントたちに診てもらって、僕はサポートに回る。患者さんにとっても「渡邉診療所」ではなく、地域の中の「北足立生協診療所」にかかって安心して診てもらえている──そういう状態を維持できるように関わっています。
診療所で研究を続けるための条件
── 診療所で研究を続けられたのは、どんな環境や条件が揃っていたからだとお考えですか?
一番大きかったのは、研究日として金曜日にプロテクトタイムが与えられたこと。時間の確保が一番のバリアになりやすいので、そこは決定的でした。
もう一つは、CFMDの中でも、所属する法人の中でも、研究することをネガティブに捉える文化ではないということ。「地域のため、日本のプライマリ・ケアに貢献するためにやっていて、自分たちのチームとしても参画できている」と仲間が思ってくださっていた──そこは大きかったですね。「趣味で業績を作っている」と見られたら続けるのは難しかったと思います。
加えて、プライマリ・ケア研究を正面から受け止めてサポートしてくれる慈恵の研究室があったこと。当時はそういう研究室は本当に少なかったので、これは本当に大きかったです。
── 逆に「これが足りなくて困った」と感じることはありましたか?
研究資金は、あまりなかったですね、でもそれは日本中どこでも同じなので、特別な話ではありません。在宅医療の多施設前向き研究のときは慈恵医大の協力で科研費を取得して進められましたが、潤沢ではないので、どうしても自分たちの手作業に頼る部分は残ります。それでも、組織的に打ち込める環境だったということが大きかったかなと思います。
ジェネラリストを目指す皆さんへ
── 最後に、ジェネラリストを目指す医学生や研修医の方へ、メッセージをお願いします。
僕が昔、家庭医の研修中に教えていただいたサー・デニス・ペレイラ・グレイ教授の言葉で、印象に残っているものがあります。「家庭医療は、いい加減にやるならこれほど簡単な仕事はないが、きちんとやろうとすればこれほど難しい仕事はない」というものです。
家庭医療は本当に奥深く、やりがいのある仕事だと思っています。総合診療・家庭医療を目指したのであれば、非常に学びが深く、自分自身の成長機会があると思います。是非、地域を支えながら、そして地域を支えつつ世界を俯瞰する視点を持って活躍する家庭医になってほしい。
「Act locally, think globally」。それを実践していって欲しいと思っています。
CFMDメモ
CFMD(家庭医療学開発センター)は、地域の診療所を基盤に家庭医を育成する研修プログラムである。レジデントは一つのホーム診療所に継続的に所属し、外来・在宅・多職種連携を通して地域に根ざした実践を学ぶ。教育の柱にはリフレクションと協同的学習があり、臨床能力だけでなく、教育・研究・組織づくりに関わる力も育まれる。リサーチフェローシップやPBRNなどを通じて、診療所を拠点とした研究活動にも取り組むことができる点は、CFMDの大きな特色の一つである。