新臨床研修制度第1期生が研修を修了してから、約7年が経過した。コア・カリキュラムとしての地域保健医療研修に関しては、見学中心のプログラムは不評で あり 、積極的に診療や、チーム活動に参加するプログラムは好評のようである。これは成人教育原理からすれば当然のことであろう。
この論考では、診療所を中心とした研修において、よく耳にする指導上の疑問を取り上げ、アドバイスを試みてみる。さらに地域保健医療研修の意義を高めるための視点を提示する。これらは、診療所研修においても保健所研修においても適応可能である。
学習者は、自分の将来像に直結するような課題には、熱心に取り組むものである。よい学びは、モチベーションを高く保てるようなコンテキストから生じる。ま た、一見するとあまり自分の将来と関係のない課題や領域であっても、指導医と学習者が話し合い、将来と関連した目標を設定することで、学びのコンテキスト を変えることができるはずである。
たとえば、心臓外科志望の研修医が診療所にローテーションし、高齢者の在宅ケアに参加することになったとしよう。心臓外科医もやはり高齢者を対象とするこ とが多いのであってみれば、高齢者の実際の生活を在宅で知ることは高い価値があるということは、お互い合意できるのではないだろうか。「人気のある心臓外 科医になるためには、お年寄りのことをよく知っておくといいよ!」というようなアドバイスは案外説得力があるものである。
研修医という学習者は、ある意味で大人である。教育における大人という意味は、学習者はなんでも書き込める白いキャンパスではなく、すでに様々な経験が書 き込まれているということであり、学びのニーズ、好きな学習スタイルがある。したがって、教育のフォーカスは個々の学習者ごとに変えなければならない。こ れは成人学習理論の根幹の一つであり。特に、目標設定、評価など、カリキュラムの運営自体に学習者に参加させることが有効であり、モチベーションの開発に なる。成人学習者は教育する側が全部コントロールすることはできないのであり、お互いに話し合うことがもっとも重要であるといえる。
また、しばしば、「研修医向きの症例」という言葉があるが、基本的にその施設でコモンな問題を受け持ったほうがよい。それは、そうした問題にこそ、施設の スタッフはもっとも習熟しているのであり、施設のあらゆる活動に関連すらしているからである。病棟研修においては、その施設ではじめて扱うレアな疾患は、 実は「研修医向き」ではないのである。
多くの指導医が自身の経験から、多様な疾患を経験し、関連した文献を読み、医学的な知識を身につけることができるような研修を「よい研修」と考えている。 また、比較的珍しく、重い疾患の方が「教育的である」とあると考える傾向がある。しかし、そうだろうか?二つの視点からこの問題に答えたい。
発熱、咳で来院した5歳の女児を診療所で研修医が診たとしよう。そして、研修医は問診と身体診察からウイルス性の急性上気道炎と診断した。小児科の病棟研 修のときに重篤な川崎病、心筋炎の患者のことが頭をよぎり、そうした心配は無い旨説明をし、アセトアミノフェンを投与した。連れてきた母親は「抗生剤を飲 まなくても大丈夫ですか?」と質問し、研修医は「ウイルスには抗生剤は効果がないですからいらないです」と答えて、診察を終了した。
上述の診療のプロセスは病院の救急外来ならなんら問題はないと考えられる。しかし、診療所においては、違う視点が必要である。まず、この患者は症状が改善 しない場合や、後日あたらしい健康問題が生じれば、また自分自身が診察する可能性の高い「かかりつけ患者」である。これが、患者とは、もう二度と会わない 可能性の高い救急外来とは違った視点が必要になる根拠である。事実この患者のカルテをみると、乳児健診から始まって、予防接種、オムツかぶれ、様々なカ ゼ、水痘、やけどなど、年に何回か様々な問題でかかっていた(ケアの継続性)。そして、家族構成は父親と母親と長男との4人暮らしであり、長男は喘息、父 親は喫煙者で、母親は現在妊娠7ヶ月であった。母親は7歳の長男の喘息が悪くなるのを心配していた。また、父親は患者として診療所にかかったことはなかっ たが、診療所としてはこの父親の喫煙の問題に遠隔的にかかわっていた。また、前回の妊娠中に夫からの暴力があり、別居していた経緯があった。カゼの診療は こうした問題にとりくめる機会を提供するものでもあった。
診療所では特定の個人・家族に生活・地域の文脈で継続的にかかわり、サポートするという役割があり、こうした医療は病院病棟医療では決して経験できない。診療所におけるカゼの診療は病院救急外来のウイルス性感染症の診療以上のコンテンツを持っている。
病棟研修や救急外来研修と異なる、診療所外来研修の特徴は、初対面の人に出会い、継続性を前提とした患者医師関係を結ぶことを求められることであり、ま た、再診でまたその患者を診察する機会があることから、その患者医師関係の質を実感できるところにある。そして、フィードバックの仕方については、疾患の 診断・治療にフォーカスを当てるのではなく、この患者を診療して1.できたこと、2.できなかったこと・足りなかったこと、3.患者を診察してなにか抵抗 感など感情的な動きが自分の中にあったか、4.次回の診察時(再診も含めて)の計画設定といった、振り返り(省察)を行ったほうが、学びのフォーカスがよ り患者医師関係に向くだろう。
研修医用の診察室を用意できる診療所はそれほど多くはないだろう。ここでは、診察室が1つしかない場合の指導法をアイデアを提示したい。
研修医は独立して患者を診ることがもっとも価値があると考えているという研究がある。一人の患者ケアから起きてくる学習課題に取り組み、実践の中で生じた問題が引き金になって始まる学びが、本当に意味のある学びになる。できるだけ参加型の研修を工夫したい。
診察室で見学する研修医の位置は、指導医の後ろである場合が多いが、これを指導医、患者、研修医で3角形を形成することである。
そして、例えば以下のような会話をしてみる。
患者「先生、血圧で注意することはなんですか?」
指導医「あ、多分今週勉強に来ている○○先生がよくしっているかもしれないなあ、どうですか」
研修医「え~と・・」
患者からの質問などを研修医にふってみる、あるいは、診察の一部をうけもってもらうなどして、今日は二人でみているという雰囲気を作るのである。
たとえば、虚弱高齢者の生活の状況を把握する時間は通常の診察のなかで確保することは難しいものである。そこで、研修医に総合的高齢者評価 (comprehensive geriatrics assessment:CGA)の基本項目である、ADL・IADL、認知能、社会的サポートの項目を教え、それらをガイドとして、別室(処置室とか検査 室、あるいは待合室の一角でもよい)でじっくりと生活の様子を聴取してもらう。また、こうしたインタビューの手引きなしで、単に「話しを聞いてこい」では 研修医はどうしてよいかわからないことが多いので注意が必要である。これは診療所にとっても有用な情報を得ることできるし、また研修医も新たなスキルと知 識を得ることができる。
スタッフ自身の自分の経験から、教育とは指導するものが学習者に何らかの情報を伝えることだと思っている場合が多く、このことが「わたしは特に医者に教えるようなことはもっていない」という不安につながっている。
成人の学びは、記述されたカリキュラムからだけではなく、インフォーマルな部分から多くを学ぶので、ここからは研修、ここからは仕事とわけることができな いのが特徴ともいえる。特に価値観、態度などに大きな影響を、教育学習環境から受ける。どんなに患者中心を謳った施設でも、職員がそれを「お題目」と捕ら えているようなら、よい学びにはならないだろう。
研修医に学びの場として評価の高い診療所に必要な雰囲気は、1.スタッフの和気藹々さ、2.患者のために一肌脱ごうという空気、といわれている。こうした 雰囲気作りは一朝一夕にできるものではないが、研修医もスタッフも、研修期間中は居心地のよくなるような工夫をいくつか提示する。
この自己紹介は自分の生い立ち、なぜ医師になろうとおもったのか、なぜ今の研修施設を選んだのか、将来どんな医師になろうと考えているのか、今回の診療所 研修で何を学ぼうと思っているのかなど、多面的に、また写真などつかってアピール度の高いプレゼンテーションである。これをスタッフ全員の前でリラックス した雰囲気の中でやってもらう。この研修医の人となりをスタッフが把握できる機会はその後の教育学習環境に良い影響を必ず与える。
研修医にスタッフが学びたい内容を聞いてもらい、30分ぐらいで行える講義をしてもらう。たとえば、インフルエンザワクチンとは?高齢者の肺炎の特徴と は?小児の腹痛の鑑別診断、などテーマはなんでもよい。研修医がいることで、新たな学びができる機会が生じる経験をスタッフに実感してもらうことである。
中間のまとめと最後のまとめのときにすべてのスタッフから一言フィードバックをもらうようにする。これは、たとえば「これからもがんばってください」だけ でもよい。ポイントは全員が行うことにあり、これを繰り返していくと、スタッフは研修医を評価する目を持とうするようになるものである。
熱心な指導医ほど、沢山の経験をさせ、様々な情報を伝えたいと思うものである。それは、大変貴重な態度ではあるが、経験は、振り返り、咀嚼し、生じた疑問 を自分で解決する機会がなければ、意味ある学びへと変換されません。短い診療所研修の間をすべて見学や診療のスケジュールで埋めてしまいがちだが、以下の 時間をきちんと保証・確保することで、より研修の効果が上がるだろう。
診療や見学を離れて、まとめを作ったり、事例をまとめてみたり、プレゼンテーションをつくったりする時間を保証する。案外研修医はあたらしい人と環境の中で緊張しているものである。こうした時間は研修医の精神的安定にもつながる。
一日のスケジュールが終わった後、30分でよいので、その日の全般的な振り返りをすることが望ましい。もし口頭での振り返りが苦手であれば、以下のフォー マットに沿って、研修医に振り返ってもらい、それをじっくりと聴くだけでもきわめて教育効果が高いといえよう。教育の効果は、指導医が伝えたい内容ではな く、研修医が何を学んだか、何が変わったかで判断されるべきものであり、そのための条件づくり環境づくりを意識するだけで、教育に対する負担感は改善する ものである。
病院への紹介入院患者が退院してきて、引き続き診療所で在宅管理を続ける場合など、病院からの紹介状などの記述された情報以外に、患者やその家族が病院で どのような経験をして、どのような指導をされてきたかについて聴取してみるとよい。診療所でケアを続ける場合に必要な情報や患者・家族の病いやケア内容に 関する認識と、病院でのズレを修正していくことはきわめて教育的である。このズレの認識がある意味診療所などの地域医療の場での学びの中心であるといって もよい。
例えば以下の事例から学ぶものを考えてみるべきである。肺炎で紹介入院した高齢者の女性が、1ヶ月の入院治療により肺炎は改善し退院したとしよう。しか し、廃用により歩行にかなり時間がかかるようになった。自宅には認知症がめだつようになった夫と、うつ病で自宅にこもっている単身の中年の息子と同居して おり、この一ヶ月の間に家の中は荒れ放題になっていた。退院したこの女性は夜間トイレにいく途中に廊下においてあったダンボールに躓いて転倒し、大腿骨頚 部骨折を起こし退院後1週間で再入院した。
退院後ケアが行われる文脈によって、医療に求められるものが、いかに違うのかということを深く認識することは、将来どのような専門医になろうとも、医師と しての重要な素養なのである。研修医が受け持ち患者の退院時カンファレンスを経験する機会は作る必要があるが、上述の認識がないと、疾患の診断と治療に集 中しなければならない病棟研修の時期では、「どこかほかの世界の話」のような感覚になるかもしれない。そして、診療所での研修は連携医療に実質を与えるこ とができるのである。
したがって、効果的な教育機会は、在宅ケアにかかわることである。特に2~3事例に関して、事例のケアを支え、関連する人、モノ、組織を列挙し、図示して みることである。これをケアマップ作りという。この場合、医療機関(現在受診していなくても、○○の問題がある場合に紹介する施設も含む)や介護保険にか かわる福祉施設、さらには親族や友人、近隣住民からからのインフォーマルなサポートも書き出してみるとよい。そして書き出した組織、人に関して、その役割 と情報の行き来の濃淡、あるいは、コミュニケーション障害などを調べて書き出してみるとよい。また、そうした患者の多職種による合同ケア会議に参加して、 実際に顔をあわせるとよい。実際に当該の患者に関する情報のやりとりをする中で、直面する問題~例えば介護者の介護負担の増大など~に関してディスカッ ションをする。それにより、地域医療におけるチーム医療における医師の役割や、病院医療とは違うリーダーシップのあり方などを実感することができるだろう。
日常的な雰囲気、持ち込まれる健康問題の多様さ、患者が安心している、10年以上の付き合いがある、生活史を知っている、性格や価値観を知っている、家族 もみている、何でも相談している、訪問診療で他人の生活に実際に入り込む、病気でない高齢者もいるんだという実感等、診療所の日常性は学びや研修の中心の 場が大病院であった研修医にとってはカルチャーショックになりうる。地域保健医療研修は、実は医学教育の最先端を切り開くものであり、短期間であっても大 きな価値をもった研修なのである。
卒前教育においてもこの数年、地域医療に関する学びの場が、多くの大学で提供されるようになった。研修医として地域医療の現場を経験することは、それまで の医師としての様々な価値観を問い直す、大きなきっかけになることは、筆者も多く経験している。医学教育のCutting Edgeに立っているという自負をもって、指導に取り組み、大いに研修医との学び合いを楽しんでいただきたいと思う。