地域立脚型中小規模病院がGeneralist Medicine/総合診療の拠点となるためのkey issues
※平成17年&平成23年3月(以前に発表したものをRemixしています)
近年の日本におけるヘルスケア・システムの変化と医学医療自体のパラダイム変化により、医療施設は、curative careと入院医療を中心とした総合病院、高齢者のケア施設、そして診療所におおきく三分される方向になっている。その中で、今地域の中小病院は、生き残りをかけて今後のあり方を模索している。 日本は人類史上類をみない超高齢化社会となり、高齢者医療は日本においてもっともプライオリティの高い課題である。また、低経済成長が基調となった現代にお いては、いかに費用対効果を向上させ、増大する医療費をどうコントロールするかが愁眉の課題である。
また、僻地や離島などの医療過疎地域の問題など、日本 におけるヘルスケア・サービスの不均等が再びクローズアップされている。こうした様々な問題群に対しては、primary care drivenなヘルスケア・システムの強化が有効であることが、様々な研究から明らかにされている。筆者は、日本におけるプライマリ・ケアの強化の担い手 は、診療所における質管理された「かかりつけ医」=家庭医と、中小規模病院において、外来、入院、在宅医療をバランスよく行える病院総合診療医であると考 えている。そうしたジェネラリストを数多く養成することが、日本における医療の未来のキーとなるのではないだろうか。
現代の医学医療の到達点をふまえると、中小規模病院が自己完結的に医療を展開することは、妥当性に欠け、危険ですらある。むしろ地域の総合病院、中小規模病 院、診療所群、各種ケア施設などが、それぞれの役割を明確にしつつ、連携してひとつのシステムを構成することが求められる。とすると、中小規模病院の主た る機能は、以下のように整理できるかもしれない。
この論考では、病院総合診療医が主役となって、こうした機能を実現した「かかりつけ病院」としての地域立脚型中小規模病院のあたらしい姿を構想するためのキーとなる概念をいくつか提示したい。
「かかりつけ病院」としての中小規模病院を構想する際に、米国小児科学会のプロジェクトmedical home initiativeが非常に参考になる。これは、複雑なニーズを抱えた、慢性疾患や障害をもった子供たちへの質の高いケアを提供するために提唱され、困 難をかかえた子供たちとその家族にとって、従来の病院や診療所にかけていた、我が家=homeのような機能をもった患者中心のアプローチの提唱である。 medical homeがそれとして、成立するためには、以下の構成要素が必要とされる。これらはまさに、プライマリ・ケアや家庭医療そして総合診療の原則にほぼ一致し ている。
さらに、Medical homeとしての施設をどのように地域住民にアピールしているかを、以下に紹介する。
これらは、かかりつけ病院を志向する中小病院がmedical homeとして機能できるかどうかのチェックリストになると思われる。これらが実現できるような組織運営が求められるだろうし、そのリーダーはプライマ リ・ケアの原則を体現できる総合診療医がふさわしいのではないだろうか。
総合診療は、生物医学の枠にとどまらず、生物・心理・社会・倫理、さらに政治・経済・環境のコンテキストの中で、個別の患者や地域の健康問題を取り扱うこと が特徴である。したがって、健康の社会的決定因子を重視する総合診療医は、ウイルヒョウがかつて"physician was the natural advocate for the poor"といったように、医療に恵まれない人たち、差別し排除されている人たち、すなわちthe underserved peopleのケアを中心的に担うことが求められているのではないだろうか。
現状では、地域の中小病院がthe underservedのケアの拠点としてふさわしいだろう。the underservedは国民皆保険がまがりなりにも成立している日本にもむろん存在する。医療にアクセスしにくい僻地や離島の住民はもちろんであるが、 都市部においてもゲイなどのマイノリティ、HIV、慢性障害、ホームレス、失業や貧困、片親家庭、虚弱高齢者など、社会的に弱い立場にある層もthe underservedである、こうした領域のケアのリーダーは、世界に見ても地域に根ざした家庭医や総合内科や小児科などのジェネラリストである。
そして、こうした活動の基礎となる哲学は「健康は人権:health is human right」であり、それを実現するために診療、教育、研究を行う分野が現代的な社会医学(social medicine)であり、以下の社会医学のコンポーネントを総合診療医教育の中では重視しなければならない。
地域の中小病院が地域全体の保健医療ネットワークのなかで効果的に役割を果たし、経営的にも整合性のある活動を展開するためには、質が高く、妥当性があり、 費用対効果に優れ、平等・公平の原理を保持した高齢者医療を展開する必要がある。その際に、キーとなるのは、高齢者の内科ではない、真の老年医学 (genuine geriatrics)に基盤をおいた運営である。 高齢者は様々な問題点を複合的にかかえている。例えばある82歳の女性は、軽度の認知障害、不眠、白内障、難聴、骨粗鬆症、腰痛と膝関節痛がある。さらに糖 尿病、高血圧症、心不全で投薬を受け下剤を常用している。足の爪の変形があり、冬になると体のあちこちがかゆくなる。
健診では、貧血が指摘されており、消 化管の精査をすすめられている。エレベーターのない団地の4階に住み、外に出る事が少ない。夫は進行した前立腺がんで、入退院を繰り返している。もし、個々の問題点ごとに担当者が違ってしまえば、有効な問題解決ができないことは自明であろう。 この患者がある日家族につれられて受診することになる。主訴は尿失禁と食欲不振である。実は最近心不全症状がすこし悪化したため、循環器の担当医は利尿剤を 少し増量していた。
そのため、夜間の尿量が増し、腰痛、膝関節痛のために、もともと低下していた移動能力の限界が明らかになり、トイレまで間に合わなく なった。本人はそのことを悩み、食事がすすまなくなっていた。
心不全、移動能力の低下、鬱状態といった病態生理学的な因果関係がない健康問題が累積して生じているこの女性を適切にケアできるのが、老年医学に精通したジェネラリストである。
「善」 に関する女性心理学者C・ギリガンの研究 が、ジェネラリストにおける価値観とジェンダーの関連に示唆的である。彼女の「何を善き事と考えるか?」という質問に対して、男性では、他人に干渉されず に自分で決める自律性とそれを誰にも保証する正義・公正、どのケースにもあてはまる原則を貫くこと、といった答えが多かったのに対して、女性ではそのつど 他人の必要としていることを気づかい、おたがいに満足できる関係を築くことが善いことであるという声が多かった。
ギリガンは、後者を前者の男性 (masculine)倫理と対比させて女性(feminine)の倫理「ケアの倫理」(ethics of care)として位置づけた。 相談に来た患者の多彩な問題に臨機応変に対応し、治療、アドバイス、ケアを行い、病人が自立した生活に戻っていくチームで援助をすること、病気や障害を治癒 させることが困難でも、その人なりに新しい生活を築いていく援助をすることがケアの倫理に基づく医療活動であり、ジェネラリストの基本的な価値観と一致する。
総合診療が主役の中小規模病院の仕事は、地域で生活するものとして、独自の価値観や人生観をもった患者の相談にのる仕事、すなわち「異なる人生に出会 う仕事」でもある。総合診療は女性の声、つまり「ケアの倫理」が生きる場所であるということが言えるかもしれない。
「かかりつけ病院」とは、女性医師が主 役となり、彼女らが生き生きとはたらくことができる場のことなのかもしれない。
おそらくこれからの中小病院の医療展開はイノベーションそのものだという認識が必要だろう。
なぜなら、国家もまた医療産業もそれほど関心をしめしていないに もかかわらず、ニーズが増大している領域だからである。政府も民間もやりたがらないこと、それこそイノベーションだからである。