プライマリ・ケアと医学教育 卒後研修必修化直前に診療所で考えていたこと
2004年より医師卒後臨床研修[i]が必修化される。昭和43年のインターン制度廃止以来、医学教育に関しては、もっとも大きな変化といえよう。この新臨床研修 制度の特徴はいくつかあるが、近年の日本における卒前医学教育の変革の流れのさらに先をいくような、これまでの医学教育のパラダイム自体の変化を思わせる 提案になっていることに注目する必要がある。この新制度を医学教育学的に評価した場合、重要なポイントは以下の二点であろう。
さらに新制度にもりこまれた教育方略の特徴については、以下のアプローチの変化が指摘されている[iii]。
これらは、近年世界的に進行している医学教育の変革のアプローチと平行している。たとえば、英国ダンディー大学医学教育学センターのHardenは1984 年に卒前医学教育の教育方略に求められる変化として、SPICESモデル[iv]を提案していが、これは教育アプローチに必要とされる変化として以下のポイントを指摘するモデルであり、ほぼ今回の卒後臨床研修の特徴と重なる。 学習者中心の教育(Student-centred education)へ 問題基盤型学習(Problem-based learning; PBL)へ 統合型学習と他職種との協同学習(Integration and interprofessional education) 地域立脚型教育(Community-based medical education) 選択カリキュラムの拡大/コアカリキュラムの絞り込み(Electives-driven) 体系的な教育(Systematic education) 医学教育自体の変化は患者あるいは社会の医療に対する意識と期待の変化、教育そのものの展開、ヘルスケア・システムあるいは医療経済の変化など多くの要因に 影響される。むろん、日本においても、医療を取り巻く状況の変化(低経済成長、高齢化社会等)、患者の期待(安全な医療、インフォームド・コンセント 等)、初等教育をはじめとした変化(絶対評価導入等)など、医学教育に大きな変革が必要とされているのである。 地域立脚型医学教育のポイント そうした大きな変化のなかで、地域のプライマリ・ケア医が卒前、卒後教育にかかわり、医師を育てる一翼を担う事が求められている。むろん処遇の問題等、まだ 多くの乗り越えるべき課題はあるものの、地域保健医療研修という形で、診療所あるいは医院といったプライマリ・ケアの現場での教育が卒後教育のコアの一つとして設定されたことは、プライマリ・ケアの質保証やステイタスの向上のためにたいへん有意義であろう。地域立脚型教育は医学教育改革におけるキーポイン トの一つである。ただ、診療所での卒前教育は徐々に広がりつつあるが、卒後臨床研修指導の経験のあるプライマリ・ケア医は少ないと思われる。この論考では、地域のプライマリ.ケア医が教育に携わるためのコツ(Tips)を英国の著名なGP指導医の文献[v]を援用しつつ、医学教育学的な解説を加えて、よい教育活動の一助としたい。
地域医療の価値観、たとえば、患者の立場に立つ医療であるとか、背景の人口全体あるいは地域全体の健康への配慮することとか、指導医自身がもっとも大事にし ている価値観こそ、地域医療で学ぶ価値のあるものである。指導医のプライマリ・ケア医としてやりがいを研修医につたえるにはどうしたよいかを考える事であ る。短期間の診療所研修における教育方略はロールモデリングが中心となるが、ロールモデリングが有効になるのは、態度と価値観(attitudes and values)の教育である。
従来から卒前教育、卒後教育ともに病院医療が教育の場の中心である。しかし、プライマリ・ケア医は、健康問題の頻度、患者医師関係の性質、問題解決のしかた、チームワークの形態、必要とされる技術構造などについて、病院医療とプライマリ・ケア医療の質的・構造的差異を積極的に見せる努力をすべきである。こ の違いの認識がカルチャーショックである。こうしたショックに関して、研修医と指導医が一緒に振り返ることでより深い学習ができる。教育学的には、significant event analysis[vi]、reflection in/on actionといった手法に通じる。プロフェッショナルとして大きく成長するのは、予期しなかった事、意外な事、いままでの自分ではうまく処理できない事 などに出会った時といわれており、こうした機会を積極的に活用すべきである。
現状では、卒後臨床研修プログラム責任者、あるいはカリキュラム開発者がプライマリ・ケア研修の意義を熟知しているとは、必ずしもいいがたいと思われるが、 つねに、地域の指導医としての意見をプログラムに反映させるような行動をとり、啓蒙的にふるまうべきであろう。それにより、教育という側面での病診連携が より発展するだろうし、カリキュラムの質保証の視点からも、地域から病院へのフィードバックは大切である。
プライマリ・ケア研修の現場では、相対的に狭い空間の中で、一対一の親密な教師−学習者関係が可能になる。このことは、弊害もありうるが、開業医などのベテ ラン医師と一定期間ともに過ごせる事は、若い研修医にとって貴重な体験となるだろう。研修医がどのような経歴を持っていて、どんな夢や希望をもち、どんな 悩みをもっているのかに積極的に興味をもちたい。こうした会話は研修医の成長をサポートし、医師としての人格の涵養につながるメンタリング (mentoring)という教育的な効果がある。
診療所の看護師、地域のケア・マネージャー、福祉施設の職員などと一緒に過ごす時間を積極的に生み出す事が有効である[vii]。また、可能なら地域の住民 の集まりなどにでて、対話する機会を作りたい。医師臨床研修は成人教育でもある。成人教育においては、学習に関連する全てのコンテキストが重要である。学 習者,教育者,同僚,患者,コメディカル,その他の教育資源すべてを学習環境としてとらえるべきである。学習者に影響を及ぼすのは教師だけではない。教育 というとどうしても何か情報・知識を伝えなければならないと考えがちであるが、学習の場と、学習にふさわしい雰囲気があれば、成人は相当部分一人で目標を 設定し、それにむかって自己決定的に学習をすすめることが出来るものである(self-directed learning)。
「教える事は学ぶこと」である。また、教師としての成長は医師としての幅広い成長につながる。様々な指導医養成講座を受講する事も有効だが、今回の医師臨床研 修必修化にともない生まれてくる多くの地域ベースの指導医集団との交流を深めていきたい。教育活動を行う事は、指導医自身の医療活動を振り返るきっかけとなり、医療の質保証に直結するだろう。
できれば、研修医用の診療スペースがあると理想的であるが、無理であっても、joint consultation[viii]などいくつかの教育法を使用する事でカバーできるだろう。また、必要な書籍、インターネットへの常時接続環境 (UpToDateなどへのアクセス)、診察のフィードバックのための小型デジタルビデオカメラなど、教育に必要な機材、リソースをそろえておきたいが、 プログラムを管理している病院や大学からのサポートも要求していい部分であろう。
評価なくして教育なしといわれる。特に、新しい卒後臨床研修は到達目標を明確化したoutcome-based educationであり、評価なしではプログラムを進める事は不可能である。学習者評価には大きくわけて以下の2つがあり,卒後研修においては形成的評 価が重要であろう。
さて、この形成的評価のためにもっとも重要かつ必要なことは,「振り返り(reflection)」と呼ばれる日々の自己評価をきちんと行うことである。
一例として、以下のフォーマットで毎日研修医に自己評価を記述してもらい,それを指導医やスタッフとシェアするセッションが有効である。
特に重要なのは、できたことをきちんと評価することである。指導ができていないことを指摘することに終始することがあるが、慎重かつ有効なフィードバックの ない欠点の指摘はほとんど教育効果がない。成功体験を積み重ねていくことが、教育にはもっとも重要だからである。そして、感情面の振り返りも大切で、感情や思いをともなわない学びは定着しない。また、地域医療研修においては、指導医以外に、様々な職種のチームスタッフから記述的評価を受ける機会をつくるこ とにより、評価の妥当性が向上するだろう。いずれにしても卒後臨床研修における評価法[ix]は必ずしも確立しているわけではなく、最近注目されている ポートフォリオ評価[x]の導入等、まだまだ様々な工夫が必要であるが、もっとも重要なポイントは、こうした評価や学習をする時間(protected time)を保証する事である。
地域医療の現場は、患者や地域住民の生活にもっとも近いところにある。また、患者や地域住民こそ、医学教育の最大のstake-holderであり、なによりはじめに医学教育に関する説明責任を果たさなければならない対象である。地域はまた、コミュニケーション、心理社会的問題、地域の健康問題へ取り組み (プライマリ・ヘルスケア)といった現代医学のなかで、軽視されがちな領域の学びの場としてきわめて有用でもある。生物医学偏重の医学教育を患者や地域住 民のニーズに合致させ、説明責任をはたせるような医学教育に変革していくためのキーとなる教育方略が地域立脚型教育であることは、世界的なコンセンサスであろう。卒後臨床研修にプライマリ・ケア医が積極的に参加する事は、そうしたフロントラインに立つ事に他ならないのである。
引用文献 [i]新たな医師臨床研修制度のホームページ http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/isei/rinsyo/index.html [ii] Harden RM, Crosby JR & Davis MH, An introduction to outcome-based education: AMEE Guide No 14, part 1, Medical Teacher, 21(1): 7-14, 1999 [iii] 福井次矢. 研修カリキュラムの全体像, JIM13(5)417-420, 2003. [iv] Harden RM, Sowden S, Dunn WR. Educational strategies in curriculum development: the SPICES model. Med Educ. 18(4):284-97, 1984 [v] Howe A,. Twelve tips for community-based medical education. Medical Teacher, 24(1): 9-12, 2002 [vi] Henderson E, Berlin A, Freeman G and Fuller J, Twelve tips for promoting significant event analysis to enhance reflection in undergraduate medical students. Medical Teacher, 24(2):121-124, 2002. [vii] Lennox A & Petersen S. Development and evaluation of a community based multi-agency course for medical students: a descriptive survey, BMJ, 316: 596-599. 1998 [viii] Spencer J, ABC of learning and teaching in medicine: Learning and teaching in the clinical environment , BMJ, 326: 591-594, 2003 [ix] Norcini J, ABC of learning and teaching in medicine: Work based assessment . BMJ, 326: 753-755, 2003 [x]ポートフォリオで未来医学教育 http://www.igaku-portfolio.net/ |
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