事例(病院救急外来) 90才男性が「この1ヵ月あまり元気がなく、この4日間食べられない。今日は朝からぐったりしている。午後5時過ぎにかかりつけの医院に電話をしたら、病院に救急車で行くように言われた」ということで、入院の準備をして、救急外来受診。紹介状なし。86才の妻と二人暮らし。 |
虚弱高齢者の夫婦には問題を解決する能力がなく、どうしたらよいかわからず外来に飛び込んで来た。このようなケースは非常に多い。
新宿区の或る公立センター病院には、近くの古くからある公営集合住宅から毎日のように救急車が到着する。高齢世帯が多い地区で、ほかに頼るところがなく、何かというと救急車を呼んでしまう。
対応しきれないと悲鳴をあげた病院側が区に実情を申し出、区は何かよい対策はないかと地域の訪問看護師である秋山正子さんに相談した。
秋山さんは「高齢社会にはちょっとした相談をしたり、とくに用事はなくても気軽に行ける学校保健室的な場所、保健の先生のような存在が必要」であるという。
区の補助を受け、団地の中に“暮らしの保健室”を設けた結果、たしかに救急車の出動を減少させることができた。
暮らしの保健室は、いわば地域保健室である。ひとつの示唆になる試みとして注目したい。地域包括センターはもっと身近に、地域保健室と同じ役割を果たす可能性があるのではないか。
事例(診療所) 地域包括より連絡あり。担当ケアマネージャーから往診 要請。82才の父と、54才の統合失調症の息子の二人暮らし。いままで、人の目がはいったことがない孤立世帯。訪問してみると衛生状態がわるく、悪臭がた だよっていた。息子は、この数年は精神科には通院していない。父親が風邪をきっかけに寝たり起きたりの生活になったとのこと。 |
生涯独身率が30%に達し、独身のまま親と生活をともにする 世帯も増えている。親は自分の老いに対処すべき時期を迎えていながら子の世話をし、本来のライフサイクルを考えにくい状況にある。生涯独身率の上昇は、老 化にともなう様々な事柄に足を引っ張られる世帯が増えることを意味している。
前述の事例も絡めながら、臨床高齢者医学における「救急」「入院」「総合評価」「健康増進」について話したい。日本の医学教育にぜひ盛り込みたい内容である。
救急車で搬送されるのは圧倒的に高齢者である。しかも重症の場合も多い。
アメリカの救急医療の現場で、高齢者に対する救急医療の質を評価する事業が行われ、驚くような指標となった。
救命率や患者の満足度ではなく、
を行っているかどうかが評価の基準である。
救急では心臓や肺の動きが最重要であり、医者は患者の日常生活を知らない。しかし患者がどんな生活をしているか、ふだんの生活に戻った後どうなるかを考えることによって支援ポイントが見えてくる。
高齢者の外傷では、各部の痛みの有無を念入りに聞く。数日の間に動けなくなったという訴えがあれば、バイタルサイン(とくに体温)、骨折(とくに大腿骨頚部骨折)については必ずチェックすること。
また、家に帰す時こそ丁寧かつ親切な対応を心がけたい。
送られた病院の救急の医者がどうやって送り先にわたすか、患 者をよく知るかかりつけ医、在宅医、施設担当者(医)とのコミュニケーションが診療の質を左右する。忙しいので文書になりがちだが、高齢者に対しては直接 コミュニケーションをとることに大きな意味がある。やりとりの過程で思いつくプランもあり、退院支援というより帰宅支援の発想をもつことが必要である。
入院は高齢者にとって、きわめてハイリスクなイベントである。元気になって笑顔で家に帰れるという考えは幻想であり、病院は安心して行く場所ではない。
入院すると40%の人は機能が低下する。言い換えれば40%の人が悪化して帰ることになる。入院しなければいけない状況か、一方で入院して起こりうることをすべて想定し、天秤にかけてみる。高齢者は入院すべきか否か、判断の難しいケースが多い。
せん妄(急性意識障害)の発生率は25~40%である。合併症を引き起こしやすいこともあり、現在はアメリカ発のせん妄予防プログラムも導入されている。
HELP(Hospital Elder Life Program)
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高齢者が入院して効果を上げるためには、医療関係者だけでなく、地域に生活する一般市民の協力(お手伝い)が大きく貢献している事実は興味深い。ある米国の大病院ではHELPの導入により、せん妄発生率が41%から18%に減少したという実績もある。
前述の“暮らしの保健室”も専門職は秋山さんと数人の看護師で、多くはボランティアで構成されている。引退したベテランの看護師やケアワーカーのほか、一般でも年配者には話し相手としてスキルの高い人材が多いという。
ユマニチュードとは
ユマニチュード(Humanitude)はフランス発、アルツハイマー型認知症の介護哲学である。
患者をケアする際に重要な“見る”“話す”“触れる”についての人間の身体論に基づく技術体系でもあり、
等、話し方やことばの選び方、接し方において細々としたスキルが必要とされる。とくに介護抵抗型の患者に有効で、ユマニチュード効果で入浴を嫌がる高齢者の入浴率がアップしたという研究成果もある。まだ英語訳も日本語訳もない最新の介護哲学であるが、近いうちに日本でも浸透していくことが予測される。
支援ポイントは、ADLとIADLを具体的に確認することで発見しやすい。
ADL ・Dressing 着替え ・Eating 食べる ・Ambulating 室内移動 ・Toileting 排泄 ・Hygiene 入浴 |
IADL ・Shopping 買い物 ・Housekeeping 掃除洗濯 ・Accounting 銀行郵便局 ・Food preparation 調理 ・Transport 公共交通機関 |
自分で湯ぶねに入り背中を洗うことができれば、肩を自由に動かせることになり、転倒する危険性は少ない。
また、金銭管理ができる人には基本的な判断能力が保たれている。入院する、急変時に蘇生を行うといった重大な判断や意思の確認もできると考えてよい。
調理については、レンジでチン!だけでなく、ある程度の細かな作業ができるかどうかをチェックすること。
公共交通機関を使って外出できる人は、まず心配不要である。目的地を決め、切符を購入し、移動して帰宅できる人には、かなり高い能力がある。
初期より進んだ中期レベルを確認できる3アイテムテストでは、たとえばペン、眼鏡、ノートの3つのうち、思い出せるのが0か1の場合、かなり不安なレベルである。ただし、3つわかったとしても安心とは言い切れない。
事例(病院泌尿器科外来)89才、女性。 主訴:尿失禁 夜中にトイレに間に合わなくなったとのことで来院、難聴あり。 現在、病院糖尿病専門外来に通院中。 その他、同病院循環器外来でAF、整形外科医院でOA、眼科医院で白内障を管理されている。 |
事例の尿失禁の原因は、脳には無関係であった。利尿剤の使用により尿量が増え、痛い膝で歩くにはトイレまで距離があり、白内障の視力で暗がりを歩くことに困難がともなったのである。
高齢者に対しては、いつも一歩引いて見ることを心に留めてもらいたい。
原因を考える前に、その人がどんな人か、ADLかIADLか、その人の生活がイメージできるようなことを聞いてみる。
ただ着替えができるかではなく、着替えに時間がかかるかどうか。洋服を着ることはできても靴下が履けず、ボタンのある衣服は着替えられない場合もある。
食欲を問うのではなく、箸が使えるかスプーンか、自分で食べられるか、むせるか等を聞く。
室内の動きでは、つたうのか這うのか歩くのか。排泄は間に合うか、下着の上げ下げに時間がかかるか、具体的に確認することが支援ポイントを発見する糸口になる。
サポートネットワークを探ることも大切で、フォーマルなサポートが介護保険だとすれば、インフォーマルなネットワークは友人やご近所との人間関係である。おかずのさし入れ等、非公式にどんなサポートを受けているかを把握しておきたい。
生きる上での価値観、死への覚悟を知るためには、その人がいままで生きてきたストーリーを尊重し、共有・理解することが必要になる。人は生まれた時から年寄りではないことを、医療に携わる若い人たちにはとくに言っておきたい。
若い頃を知らないので、昔の写真を見て、海水浴場で微笑んで いる美人がこうなるのかと驚くことがある。しかし逆の発想で、この人にはこんな青春があったのかと考えてみる。そういう感覚をもつ人は医療関係者には少な いが、想像力をはたらかせることで高齢者の人生を共有してほしい。
事前指示について、アメリカでは「もし私が呼吸も心拍もしていない状態で発見された場合、救急救命措置をしないでください」と冷蔵庫に貼らせる州がある。日本では本人の意思に関係なく措置は行われるが、私が浮間に赴任して、最初にこのテーマを考えた一例がある。
脳梗塞の後遺症で片麻痺。ベッド上で寝たきりだが、頭はしっ かりしていた患者が肺炎になった。私もまだ若く、「肺炎だから入院して治しましょう」と言うと、「もういいです。家でやれることだけをやってください」と 返ってきた。物のわからない人だと説得しようとして、昔教わった一歩引いて見る方法をふと思い出した。
「なぜそういう考えになったのですか」と聞くと、「この年で すから、いろいろありました」とはじまり、話をするうちに「ミッドウェー海戦で空母に不発弾の魚雷がぶつかり、小学校からの友達だった同胞が死にました。 ほんの少しずれていたら自分に起こったこと。それからは余生です。無理して生きたくない、自然のまま受け入れたいのです」と答えた。
人はそういう死に方を選ぶのかとあらためて考えさせられた。同時に患者の人生を共有し、学ばせてもらったと思う。
がん末期の患者で、入院相談の際にシベリア抑留の体験を熱心 に語った人もいる。その体験の中で、自分の生き方死に方を考えてきたという。最終的には私が勧めた入院を選択したが、その過程において患者のこだわりや価 値観を尊重し、生き方を共有したことで安心してもらえたのではないか。
自宅アセスメントの重要性は、その人の日常的な生活を詳細に聞くことで援助ポイントを知ることにある。
家の中の物は人を表わす。写真、本、賞状や記念品のほか、こけしやペナント、子どもの習字や絵といった飾り物も注目に値する。古いたんす等も年月を経て歴史を物語る。物の数だけストーリーがあり、そういった話は聞いて飽きることがない。
視力については、低下すると転倒をまねきやすいので、とくに症状がなくても眼科の定期受診は非常に有効である。
聴力の低下では、音としての情報量が減ることで脳への刺激も減少する。活動力が低下し、うつになりやすいので注意が必要である。アルコールの瓶や余った薬、介護者の生活の場も必ず確認すること。
家の中は整理されすぎるとかえって危険になる。生活の場は適度に狭く、それなりに物がある方が事故は起こりにくい。
入れ歯が合っているかどうかも大事な確認ポイントになる。見た目のためだけに入れている人も多く、食べるとなると痛いので外す人も多い。高度の骨粗鬆症、抗凝固療法中の患者等、ハイリスクの転倒傾向者も要チェックである。
高齢者は服薬が多い(多剤投薬=Polypharmacy)が、一度に7剤以上のケースは要注意であり、18錠では副作用も起こる。過剰摂取せず、必要不可欠な服薬に絞り込むことを心がけたい。
いまもっとも興味深い話題である。1960~90年代初頭までは「病気のない状態」が健康という認識であった。現代では「病気や退行性変化と健康との共存」を健康ととらえるようになっている。自らもユダヤ人であるアントノフスキーは、ホロコーストで生 き残ったユダヤ人がその後どう生きたかを研究した。当初は究極の体験で心に傷をかかえ、精神疾患の発生率が高いのではないかと予測されたが、研究するうち に、同じように生存危機的な状況に遭遇しても健全な身体と精神をもつ人がいることに気づいた。病気に病気の原因(病因論)があるように、健康にも健康の原因がある(健康生成論)。ここを支えることがもっとも大切なのである。高齢者が増えることは、元気な人が増えることである。皆が 皆、寝たきりではない。退行的変化は病気なのか。ADLやIADLだけでなく、AADL(ADVANCED=進歩した)をめざし、残った健康な部分へのア プローチを続けるべきではないか。健康な部分をサポートするため、趣味や生きがいは必ず聞いておきたい。
昔その人が作ったという埃だらけのコースターを話題にしたら、いまはリューマチで作れないと言う。しかし何度か訪問するうちに、たんすの奥から手芸の道具を出してほしいと頼まれた。やがて彼女は手芸を再開し、作品を完成させた。少し歪んではいたが、診療所の展示コーナーに飾り、写真を撮って見せると、嬉しさのあまり号泣したという。彼女にとっての健康の原因が手芸であった可能性は高い。看護師は彼女の生きがいを掘り起こしたのである。 高齢者の介護では病気や痛み、障害等、どうしてもマイナス部分に目が行くが、健康の原因である“趣味”や“生きがい”を掘り起こす手助けをし、それを継続させることを目標にしてほしい。健康増進とは健康をプロモート、すなわち生産することである。高齢者一人ひとりを支えている健康の原因は何か。残った健康な部分にこそ目を向け、皆さんが明日からもさらに意欲的に、ポジティブな発想と姿勢でケアやサポートに取り組まれることを期待している。(終)