研修医を育てるということは、指導医が知識や技術を伝達することだけでは不十分である。
医師のパフォーマンスを規定する因子として以下の3つを意識しておきたい。その医師に十分な知識や技術があってもそれだけでよい仕事ができるわけではない。
これら3つのパフォーマンス規定要因をつねに意識して教育活動を行うこととストレス対策を同時並行的に進めることが出来るようになるだろう。
そこで、ここでは、サポートシステムの構築、プロフェッショナリズムの涵養、メンタリングの3つの視点から、研修医のストレス対策について実践的なアドバイスを試みたい。
2003年度の全国40施設の研修医341人(回収率56%)のうち、抑うつ状態であった研修医は38.7%で、うち「臨床を辞めたいと思う」、「医療事 故を起こしそうになった」、「本来ならやるべき検査・処置をやらなかった」のいずれかがあると答えた研修医は、いずれもなかった研修医と比べ、統計学的に 有意に多く抑うつ状態が認められたという前野らによる研究がある[1]。医療を取り巻く環境が、現在の指導医の育った環境とは異なってきたため、「実感と して」今の研修医のストレスに共感できる指導医はそう多くないはずである。研修プログラムに意識的にサポートサポートシステムを導入する必要がある。
まず、表1の4分割表に自らの研修プログラムにおけるサポートの仕組みを、よく振り返りながら記入してみて欲しい。
表1 研修医のサポートシステム検討のための4分割表
研修環境 (例)休暇 (例)適切な受け持ち症例 (例)研修専任看護師の配置 |
公的サポート (例)指導医の時間保証 (例)研修医の診療内容のチェックシステム |
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非公式サポート (例)指導医のフィードバック技法の習得 (例)医局旅行 |
問題の早期認知 (例)他職種への聞き取り (例)カウンセリングの場設定 (例)生活相談ができる医局秘書の存在 (例)精神科医との連携の確立 |
本来は余暇を与えることが重要と考えられるが、木村[2]らの検討によると、休みがあっても曖昧な勤務形態のため呼び出されることがあり結果的に余暇とな らない現実が明らかとなった。“勤務時間や休暇の基準を決めること”が望まれる。労働時間や、患者の数、質を調節することが必要。少なくとも、睡眠や休 息、食事など生理的な欲求水準が満たされないような環境は緊急に改善すべきである。
木村らの調査では、“自らの医療行為が患者の不利益や医療の質低下に繋がる可能性への危惧と、それに対するサポート体制の不備”が研修医の大きなストレス 要因となっている。 “研修についての悩みを話す人や場の充実”は、研修医が気軽に相談して指導医が助言できれば、キャリアカウンセリングやメンタルへルスの上で有用であろ う。
研修医の足りないところや不十分なところを指摘することが指導ではない。きちんと出来ているところを「出来ている」という評価をすること=ポジティブ フィードバックを意識的に追求する。「よかったこと探し」を促すことは有用なストレス緩和要因である。また研修医の家族との交流も重要であり、家族と過ご す時間を保証することも大事である。
仕事に問題がおきてから研修医のメンタルヘルスの問題に気づくようでは、すでに手遅れになっている場合が多い。研修医の危険信号としては、「欠勤や遅刻・ 早退」「元気がない「妙に明るく元気である」「もともと真面目で優秀な研修医にミスが多くなった」「患者に共感していない」「医師としての仕事に疑問をも つ」が上げられるが、それでも遅いだろう。看護師などの医療チームメンバーにも、気づきを促したい。
もっとも重要なのは、研修医自身がもし自分で苦しくなった場合にそれを安心して申告できるシステムである。「つらい」と思ったときにそれを周囲に漏らすことは、自分の低い評価につながらないことを徹底させることであろう。
なお問題が認知された場合、その問題の大きさに順じて、
の対策があるが、基本的にうつ気分がある場合、精神科医に受診することに抵抗は少ない。臨床研修をきっかけに、希死念慮を伴う重大な精神疾患が顕在化する場合もあるため、精神科医への相談ルートは確実に確保しておきたい。
研修医のストレスは、医学知識や技能の獲得に関することよりも、患者やスタッフとのコミュニケーション、価値観の相違、自分の生活と仕事のバランスなど、 プロフェッショナリズムに関連した領域で生じることが多い。これは、社会人として、また医師として、そして移行期の成人として、大きな変化の真只中にいる からである。プロフェッショナリズムの涵養をプログラムとしていかに重視し、保証するかという課題は、研修医のストレス対策そのものであるともいえよう。
医師に必要な人間性(プロフェッショナリズムと個人的要因=personal traits)に関する浅井ら[3]の質的研究によると、医師が持つべき人間性には以下の3つの領域がある。
こうした人間としての成長とプロフェッショナリズムの獲得の課題は、「医師としての人格の涵養」として新医師臨床研修の大目標と掲げられているものの内実 といえるだろう。そして、個々の診療技術の獲得に比して、こうした側面についての成長に関しては軽視されがちである。研修医のストレスは実際には医学的側 面以上にこの人間性に関する課題から生じていることがほとんどなのである。
浅井らの検討では、こうした人間的な医師として生きることに影響を与える因子について明らかにしている(表2)。これらはの促進・阻害因子は研修医のサポートを意識したカリキュラム構築の際のチェックリストとして有用であろう。
表2 人間的な医師として生きる上での内的、外的促進因子と阻害因子
内的促進因子 自分自身の患者体験 人生の挫折体験 ロールモデルの存在 |
外的促進因子 心の余裕 仲間との悩みの共有 反面教師の存在、「あんな医者にはなりたくない」と思うこと |
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内的阻害因子 感情のコントロール困難 心理社会的問題への苦手意識 |
外的阻害因子 シニカルな価値観 精神的・肉体的ストレス |
さて、プロフェッショナリズムの涵養の際にキーとなる教育方法は、振り返り(省察、洞察、reflection)である。振り返りとは、厳密にいうと、 データ、事実、あるいは「~である」(is~)から成立する説明や解釈から、価値や「すべき」(ought to~)から成立する実践にジャンプする過程(規範的跳躍normative leap)を言語化する作業のことである。ありていに言えば、理論的に妥当なことと、実際に行ったことのギャップを事後的に言葉にしてみることである。
実践的には、研修医同士で定期的に、自らの学びの経験や驚いたこと、予想外のこと、うれしかったこと、落ち込んだことを振り返り、共有するセッションを時間を確保して行うことである。筆者らの経験では、
といった有用性がある。
振り返りには定型的なフォーマット(表3)を使用する。
表3 振り返りのフォーマット
うまくいったこと (どんなことでもうまくいった部分はかならずある) |
改善すべきこと (ここだけに議論を集中しない、犯人探しをしない) |
感情面での動き (そのときの感情を見つめなおすことは、精神衛生上よい) |
Next Step~学びの課題 (この議論に時間をかけるのがよい) |
また、特に研修医自身が、医師としての今後に大きな影響をあたえそうな重大な出来事を、事例の紹介も含めて、詳細に振り返り、それをプレゼンテーションす るセッション(significant event analysis SEA)も年に2回程度、症例検討会の時間を使ってやるのも非常に有用である。通常の症例検討会はあくまで、病態生理などの医学的側面 の検討に偏っており、研修医が臨床の現場で学ぶ人間的側面を指導医も学ぶよい機会になる。筆者らの施設でのSEAの例を紹介する。
SEAの例 卒後1年目研修医 男性
受け持ちの男性患者が肺がんで死亡した。初めて死亡例だった。その後一ヶ月ほどしてから、患者の妻から手紙をもらった。亡くなった患者自身の言葉を引用し ながら、研修医が一生懸命やってくれたことへの感謝の手紙だった。この研修医は、自分の医療が本当によかったのか?と自責の念やある種の罪悪感も持ってい たのだが、その手紙は亡くなった患者からそうした感情を癒してくれる「最後の贈り物」のように思えたという。それ以来、臨死患者のケアに対する心のバリアーがずいぶん少なくなったと自分では思う、とのことであった。
指導医は基本的に研修医の学びをすべてコントロールすることは出来ないというのが、成人教育についての研究結果である。むしろ、研修医同士で助け合い、学びあえる環境を作り、それを指導医は保証し、援助するという姿勢の方がうまくいく。
ヴィゴツキーの最近接領域理論からみると、協同の学び(cooperative learning)により、一人で学ぶよりも、ちょっと高いところを目指すことができる。筆者らの経験からも協同で学ぶときは、目標を高く設定したほうが効果的である。
また、協同の学びにより、教育学習環境として重視される「仲間作り」を促進することができる。そして、話をする技術、話を聞く技術、フィードバックの仕方 を学ぶことができる。注意したいのは、仲間作りの方法として旅行やリクリエーションがしばしば上げられるが、フォーマルな協同学習のセッションを保証する ことのほうが有効なのである。他の人の成長が自分の喜びに感じられるようになればしめたものである。
余裕のなさはプロフェショナリズムの阻害因子であることは前述したが、余裕とは、単に暇なことではないことに留意しておきたい。木村らの報告では、仕事と して位置づけた多忙さはストレスにならないという結果が出ている。むしろ、メリハリのない、けじめのない多忙さはストレスになる。例えば、あまり意味のな い休日の呼び出しなどは、強いストレスになるとされる。教育セッションや振り返りのセッションの時間保障と、休暇保障、特にまとまった休みを保証すること が求められている。また、休みかたのスキルの獲得も必要であろう。
こうした将来のビジョンにまつわるストレスに対応するのがメンタリングという方法である。メンタリングには多くの意味があるが、以下のことにメンター(指 導者)とメンティー(学習者)が協同して取り組むことといえる。「育成面談」といえば、そのイメージはつかめるだろう。
医師に系統的にメンターによるメンタリングを保証することは日本では一般的ではない。しかし、医療者がストレスマネージメントを上手に行い、成長できるた めのメンタリングの有用性は明らかであり、今後は制度的なメンタリングシステムが求められると思われる。また、医師がもとめているメンタリングは単に進路 サポートやカウンセリングではなく、もっと総合的なものである。Freeman[4]によれば、以下の3つの領域をカバーする必要があるとされ、これらを カバーするメンタリングをholistic mentoringと呼ぶ。
Holistic Mentoringとは
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メンタリングのセッションは、リラックスした雰囲気の中で、メンターは開かれた質問をし、研修医の振り返りを促すというプロセスで進める。そして、振り返 りを促す領域をもれなくカバーする必要がある。Freemanによれば以下の6つの領域をカバーすることを提案しており、これをメンタリング・サイクルと いう。それぞれの領域はオーバーラップする部分も多いが、メンターはひとつの話題に終始するのではなく、このサイクルを念頭に置き、できるだけ多くの領域 に関する振り返りを促したい。
メンタリング・サイクル
1.プロフェッショナルとしての自分
↓
2.将来の希望~何がやりたいか
↓
3.社会における自分
↓
4.個人としての自分
↓
5.教育における経験
↓
6.将来の計画~何をするか
以下に各領域に関する典型的な質問を例示する。
メンターはそのプログラムの管理者ではないほうがよい。メンタリングのセッションでの発言が、評価や処罰には結びつかないことが保証される必要がある。転職を考えている研修医は、メンターが施設の管理者ならそのことを相談することはないだろう。
また、メンターはカウンセラーではない。カウンセリングの技法はメンタリングの場でしばしば有効であるが、相当込み入った個人的な問題や、精神衛生上の問題があらわになる可能性があるが、その場合はあまり深入りせず、適切な専門科に紹介する方がよい。
研修医教育に比して、サポートシステムの構築やメンタリングの実施は軽視されがちであるが、この分野に注力することによって得られる見返りは大きい。
引用文献
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