家庭医の輪
~医師が医師に聞く、レジデンシー近畿の魅力と成長ストーリー~

第1回 AI時代における医療の未来と家庭医の役割とは? 東先生に聞く

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東先生に聞く
 今回は、長年にわたり地域医療と家庭医育成に尽力されてきた東先生に、AI技術が医療にもたらす変化や、これからの医師、特に家庭医・総合診療医に求められる役割について、森医師がインタビューしました。

【森医師と東先生の出会い】

 プログラム責任者の森医師と指導医の東先生の最初の出会いは、1994年8月名古屋医ゼミ(全国医学生ゼミナール)でのこと。当時、森医師は大学2年生、東先生は皆の先輩的存在として「ヒンガシさん」と慕われていました。森医師は「まさかその後、東先生と一緒に働くことになるとは夢にも思っていませんでした。今回のインタビューは本当に奇遇なご縁です」と語ります。

【AIは医療をどう変えるか?~東先生の視点~】
【11年前の提言と現在の医療~医師不足と専門分化~】
【家庭医・総合診療医の育成と未来】
【医療における教育の重要性】
【家庭医のアイデンティティと指導医の役割】

【AIは医療をどう変えるか?~東先生の視点~】

森: 最近、先生が特に気になっていることは何でしょうか?
東: やはりAIの進歩ですね。今後さらに医療に関わってくると思います。これまで患者さんやご家族が情報を得る手段はネット検索などが主でしたが、これからはAIに質問するようになるでしょう。同時に医療従事者もAIを活用する必要が出てきます。
 ただ懸念点として、誤った知識をAIで学んでしまう人も増える可能性があります。ですから、我々医療者は正しい情報をしっかりと伝え、一緒に考えていく役割がより重要になります。
 また、AIには意外な可能性も感じています。AIとの会話で褒められることで癒やしを感じる人もいるようで、セラピーとしてのAIという側面も出てくるかもしれません。いずれにせよ、医療者自身がAIに使い慣れていく必要があるでしょう。
森: 実際にAIを使って情報を調べてくる患者さんはいらっしゃいますか?
東: ネット検索で調べてくる方は多いですが、AIを活用する方はまだ少数です。しかし、ちらほらといらっしゃいますね。その際は、私自身の知識と照らし合わせて情報の正誤を判断し、お伝えするようにしています。私自身も調べ物でAIを使うことはありますが、必ずエビデンスと照らし合わせてその正しさを意識しています。
森: AIを電子カルテに組み込んでいる所も実際にあるようですが、もっと広まっていくでしょうか?
東: 十分にあり得ると思います。カルテ記載が楽になる可能性はありますね。ただ、私が患者さんのお話を聞く際は、それが医学的な話なのか、心理社会的な話なのか、あるいはその方の人生における意味や健康観、価値観に関わる話なのかを解釈しながらキーボードを打っているので、AIが代行することでそのニュアンスをどこまで汲み取れるかという課題はあります。
 医師事務作業補助者さんが入力してくれると確かに楽ですが、自分でコントロールできない部分も出てきます。患者さんのお話に含まれる本当の意味を解釈し、汲み取るのは医師の大切な責任だと考えています。AIがそこまで賢くなるかは、まだ未知数ですね。
森: まさに、齋藤孝『三色ボールペンで読む日本語』(角川書店、2002)のように、医師は患者さんの話の中から「超重要なこと」「文脈上重要なこと」「興味があること」を聞き分け、医学的な部分と心理社会的な部分などを整理していく必要がありますね。
東: そうですね。AIが得意とするのは、例えば鑑別診断の補助や、検査の漏れを指摘したり、年間計画の中で「そろそろエコー検査の時期ですよ」と推奨したりすることかもしれません。医学的な「漏れ」を防ぐという点では、AIは非常に有効でしょう。電子カルテにAIによる意思決定支援システムを導入する流れは、今後も進んでいくと思います。医学的な漏れがAIによって減るのであれば、医師はコミュニケーションなど、より人間にしかできない部分に力を注げるようになります。AIが「この患者さんはどんな人か」という人格まで理解する時代がいずれ来るかもしれませんが、当面は我々医師が人間として患者さんに向き合う役割が中心でしょう。
森: SF映画のようにAIが暴走する、といった懸念についてはいかがですか?
東: 過去にMicrosoft社のAIがナチス礼讃の不適切な発言をした事例などはありますが、いわゆる「ハルシネーション(もっともらしい嘘をつく現象)」の問題は認識しつつも、現時点でAIが暴走しているとは言えません。もちろん、適切にコントロールしていく必要はあります。

【11年前の提言と現在の医療~医師不足と専門分化~】

東先生に聞く-2
森: 先生が11年前に受けられたインタビュー(「日本の医療の将来と兵庫民医連の取り組み」)がAI検索でヒットしました。当時は2015年問題や2025年問題(団塊世代の後期高齢化による疾患の複雑化・複合化)を背景に、家庭医・総合診療の必要性を訴えていらっしゃいましたね。
東: はい、当時はそういった問題意識がありました。11年経った今、医師不足の声は依然としてありますが、一方で厚労省や医師会は2040年問題(高齢者を含めた人口減少により医師が過剰になるため、医師数を増やさない)を主張しています。医師の偏在が問題であることは確かですが、現実として医師不足も存在しています。
 近年の医療の専門分化は著しく、それによって相対的に必要な医師数はむしろ増えていると感じています。厚労省の検討会資料には「医師数の増加が医療費増加の原因である」といった意見もあるようですが、そのエビデンスは乏しい。OECDの統計を見ても、日本は少ない医師数で医療費が多いという状況であり、医療費が多い国と医師数が多い国の相関がありません。国が「医師が増えると医療費が増える」と主張している点には疑問を感じます。
 医療の高度化は必然的に専門医を増やしますが、専門医が増えれば増えるほど、一人の患者さんに対して複数の専門医が関わることになり、結果として必要な医師数は増えます。「医師が余る」という見方には慎重であるべきです。そして、専門医が増えれば増えるほど、それらをまとめ、患者さんを総合的に診る医師の存在が不可欠になります。
森: 山本和利先生(札幌医大医学部地域医療総合医学講座(現・総合診療医学講座)元教授、名誉教授 )の著書『脱専門化医療』(診断と治療社、2001)にも通じるお話ですね。まさに専門医が増えるほど、それを俯瞰的に見られる総合医の必要性が高まります。そうした流れを感じて、家庭医や総合診療医を目指す若い医師が増えているように思います。

【家庭医・総合診療医の育成と未来】

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森: この11年間で、家庭医・総合診療医の育成状況はいかがでしたか?
東: 私の病院単独というより、全国的な傾向として、非常に有力な若手の家庭医・総合診療医が増えていると感じています。旧家庭医療学会から日本プライマリ・ケア連合学会へと組織が移行する流れの中で育ってきた医師たちが、各地で目覚ましい活躍を見せています。彼らは実践を重ねながら理論も深めており、頼もしい限りです。我々世代はもうロートル、隠居の身かもしれませんね(笑)。
森: 日本プライマリ・ケア連合学会が設立されたのが2010年ですから、この約15年で状況は大きく変わりました。我々が知らない若い世代の医師たちが、確実に育っています。とはいえ、必要な総合医の数や割合としては、まだ足りないという認識でしょうか?
東: そうですね、まだ十分とは言えません。特に診療所の医師に目を向けると、開業医の平均年齢は60代、勤務医でも40代と高齢化が進んでいます。1つの診療所に医師が1人という体制では、どうしても学習機会が乏しくなりがちです。
 診療所の医療の質を担保するためには、孤立を避け、学習機会を確保することが重要です。ITツールや医師向け情報サイトで情報を得ることはできますが、製薬会社からの情報に偏ってしまう懸念もあります。診療所の質を高めるためには、「学び方を学んでいる医師」が診療所に入り、医師会もその支援に努力する必要があるでしょう。医師会も、個々の診療所が連携し、互いに高め合えるような診療所医療のあり方を模索すべきです。これは都会であれ、へき地であれ同様です。
森: AIの活用も、そうした診療の質の向上に役立つ可能性がありますね。ただ、診療の質といっても、それが医学的な部分なのか、コミュニケーションや価値観といった部分なのか、切り分けて考える必要がありそうです。
東: 家庭医や総合診療医を増やしていくためには、そうした医学以外の価値観も重視していく必要があるでしょう。医学的な知識や技術のアップデートはAIが支援してくれるかもしれませんが、それ以外の部分は、やはり医師自身が「学び方を学ぶ」ことが重要になります。
森: 「学び方を学ぶ」とは、具体的にどういうことでしょうか?
東: 医師会などが生涯教育講座を提供していますが、それだけでなく、「学び方」の例としてはEBM(根拠に基づく医療)の考え方を本質的に理解し、日々アップデートされていくエビデンスに意識的についていくことがあります。最新のエビデンスを追いかけ、取捨選択していくのは大変な作業です。私自身は、関連するガイドラインを片っ端から購入するという物量作戦で対応していますが、これは金銭的にも負担が大きいです。
本来であれば、日本の医学会全体が公共の利益のために、最新のガイドラインを無料でアクセス可能にすべきだと考えています。一部の学会(例:日本循環器病学会)ではそうした取り組みが始まっていますが、全ての医師、そして患者さんのために、ガイドラインが広く公表される体制が望まれます。

【医療における教育の重要性】

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森: 私自身、診療所で研修医教育に関わっていると、レジデントから最新情報を教えてもらうこともあり、それが自身の生涯学習にも繋がっていると感じます。多くの診療所の先生方が教育に関わることは、ご自身の学びにも繋がるのではないでしょうか。
東: そうですね。研修医や専攻医がへき地医療を経験することについては賛否両論あります。以前、さる医師団体の人が「へき地の医師不足を補うために若手を無理やり行かせるのは、若手に過度な責任を負わせるようでどうか。誰がへき地ローテーションを強いたのか」、「全世代の医師、特にベテランが期間を区切って交代でへき地医療を担うシステムが必要ではないか、そのためには大学の医師派遣機能を復活させるべきでは」、という主張がありました。
 へき地診療を学生時代や研修期間中に経験した医師が、その後もへき地に残りやすいというエビデンスも存在します。 もちろん、家庭を持つ医師などにとっては厳しい面もありますが、一定期間のへき地医療経験は、大変ではあるものの、医師としての成長には必要なことかもしれません。へき地に限らず、様々な診療所で教育の場を提供し、医療のプライマリ・ケアから三次医療までを経験しておくことが、将来どの分野に進むにしても重要だと考えています。
森: へき地医療の意義は大きいですね。ただ、現在、19の基本領域の中で、へき地(医療資源の乏しい地域、離島など)での研修が必須となっているのは総合診療だけです。他の18領域も同様であれば納得感がありますが、現状では総合診療に偏っている印象です。そして、それでもなお若手医師だけを派遣するのか、という問題は残ります。
 そもそも「へき地」という存在そのものが、医療だけでなく、教育資源やアクセスなど、より大きな社会構造や政治の問題と深く関わっていると思います。
 2003年、現在の初期臨床研修制度が必修化される直前、厚労省は「全ての病院は研修病院になるべきだ」と提言していました。私も当時、島根県で臨床研修指定病院の認定取得に尽力しました。しかし、その時の理想と現在の厚労省のスタンスは変わってきているように感じます。
東: それはやはり、医師数の調整という政策的な側面が影響しているのでしょう。
森: 理想を言えば、全ての病院、そして全ての診療所で質の高い研修が受けられる体制が良いと思います。
東: もう一つの重要な問題として、「学習」と「教育」は表裏一体でありながらも、全く同じものではないという認識が、医療界全体で十分に共有されていない点が挙げられます。学習と教育は、全ての医師にとって不可欠なスキルであるはずです。研修医への指導だけでなく、コメディカルスタッフへの教育、そして患者さんや地域住民への健康教育も医師の重要な役割です。
 こうした教育スキルや、医師自身の学習スキルをもっと早い段階から体系的に教えられるべきだと考えています。若手による屋根瓦式の指導は行われていますが、指導する医師自身が教育スキルを十分に身につけた上で実践しているわけではないケースも散見されます。
 自分の知っている知識をそのまま伝えようとしがちですが、指導医や先般研修医は1年目の研修医が来たら、一方的に教えるのではなく、一緒に調べてみる姿勢が大切です。そうすることで、自身の知識が古くなっていたり、誤っていたりすることに気づくきっかけにもなります。
森: 自分が教わった通りに教えようとしたり、過去の武勇伝を語って「自分はこうやったんだから、君もそうすべきだ」と押し付けたりする指導も見受けられますね。教育の「やり方」を学ばないまま指導しているように思います。
 我々が学生だった頃を振り返っても、医学部の教員の多くは、実は教育学を専門的に学んでいない方々でした。最近はFD(ファカルティ・ディベロップメント*)も行われるようになりましたが、「こんなひどい教え方で学生は理解できるのだろうか」と感じました。自分自身も勉強不足ではあったのですが(笑)。少し過激に言わせていただくと卒前教育の段階から「教育」という科目を単位として履修すべきなのかもしれません。
東: 例えば、地域医療実習があるのであれば、その中で地域住民に対する健康教育の実践を必修化するのも一つの方法でしょう。

*教員が授業内容・方法を改善し向上させるための組織的な取り組みの総称

【家庭医のアイデンティティと指導医の役割】

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 そして何より、コミュニケーションの本質は、病気という経験を通じて、その人の人生そのものに関わっていくことだと考えています。そのプロセスを専門とし、そこに喜びを見出せるかどうかが重要です。医学はもちろん入り口であり、そこは医師として常にこだわり、知識や技術の切れ味を磨き続けなければなりません。しかし、我々が見ているのは臓器でも検査値でもなく、「その人」そのものなのです。その視点を持ち続ける領域であり、そこにこそ医師としての働きがいや感動があるのだと思います。単に幅広い症状や疾患を診るというだけでなく(もちろんそれも重要ですが)、それを超えたところに家庭医・総合診療医の本質があります。その感覚を医療の全領域に広げていきたい、そう思うような若い人にぜひこの道に進んでほしいですし、最初は軽い気持ちで入ってきたとしても、いずれそう思えるようになってほしいと願っています。
森: 先生がおっしゃるように、家庭医のアイデンティティは「患者さん」そのものですよね。
東: 指導医として若い医師と接する中で、例えば「何例経験しました」という報告は、正直あまり面白みを感じません。「ご指導ありがとうございました」と言われるのは嬉しいですが、それ以上に、患者さんとの出会いの中で、彼らが悩みながらも成長していく姿を見せてくれることが、何よりの喜びです。
森: 「中心静脈カテーテルをこんなに入れられるようになりました!」といった手技の上達報告をされても、指導医としては「ああ、そうですか」という気持ちになることもありますね(笑)。 そうした反応をすると、若い医師は「先生は分かってくれない」と感じてしまいます。以前、研修医の先生に苦情を言われたことがありますので、最近は「すごいね!」と褒めるように心がけています(笑)。
東: ただ、そうした手技的な部分で自信をつけることが、裸一貫で医療現場に立つ研修医にとって支えになることも理解できます。
森:指導医の中には「手技に自信をつけさせてあげたい」という親心のようなものを持っている方もいて、その気持ちもわかるようになりました。
 「家庭医療にとって、役に立たない知識や経験はない。何でも勉強したらいい」と言われますね。例えば、最近話題の万博のことなども、患者さんとの会話の糸口になるかもしれません。
東: まさにその通りで、社会で起こっている様々な出来事、例えばウクライナ情勢や米の価格変動なども、巡り巡って患者さんの生活指導に関わってくる可能性があります。医学だけでなく、社会のあらゆることに関心を持つ姿勢が大切です。
森: 「米なんて買ったことがない」という研修医では、患者さんの生活実感を理解するのは難しいかもしれませんね。
東: 日本の物価高の背景にはウクライナ問題がある、といったように、世の中の出来事は複雑に絡み合っています。医療以外の専門領域の知識も、何でも役に立つ可能性があるのです。医師も、広い意味ではビジネスマンの一種と言えるかもしれません。様々なことを勉強する余地はたくさんあります。
 そして、私たち家庭医・総合診療医は、常に先進的であろうとする姿勢に誇りを持ち、医療全体の質を改善していくために、広い視野で貪欲に様々な知識や考え方を取り入れていくべきです。そこは、私たちが誇りを持てる部分だと考えています。


東先生、貴重なお話をありがとうございました。AI技術の進展が目覚ましい現代において、医療の本質と医師の役割を改めて深く考えさせられるインタビューとなりました。

第2回 尼崎と宮古島、2つの現場から見えた地域医療のリアルと総合診療医の成長

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青木先生に聞く
今回は、沖縄県宮古島での研修を終え、尼崎の医療現場に戻ってきた専攻医3年目の青木先生に、インタビュアーとして指導医の東先生がお話を伺いました。異なる環境での経験を通じて得た学びや、総合診療医としての成長の軌跡、そして未来の展望について、リアルな言葉で語っていただきました。

地域によって全く違う「医療の顔」
「ポートフォリオ」と向き合い、自身の成長を可視化する
これからの目標は「診療所で役立つスキル」
AI時代に総合診療医が果たすべき役割

地域によって全く違う「医療の顔」


東先生: 青木先生、お久しぶりです。さっそくですが、宮古島から尼崎に戻られて、最近何か面白い経験はありましたか?
青木先生: そうですね、「面白い」というか「違い」を強く感じています。尼崎に帰ってきてアルコールで動けなくなっている人のことで緊急で往診に行くことがあって、尼崎特有だなあと思いました。一方で、宮古島では感染症の種類が全く違いました。つつが虫病やATL(成人T細胞白血病)の患者さんを実際に診断する機会もあって、地域ごとの疾患を意識しないといけないと感じましたね。
東先生: 尼崎はアルコールも多いですが、機能不全家族というものも多い印象があります。宮古島のほうでは患者さんの背景や家族構成にも違いはありましたか?
青木先生: 宮古島では、高校卒業後の若い世代が仕事や大学で島外に出てしまう「中抜け現象」があって、子どもが祖父母と暮らし、両親は沖縄本島などで働いているという家庭も少なくありませんでした。
東先生:人口ピラミッドが、だいぶ違う感じですか。
青木先生:子ども、小学生・中学生が一番太くて、そのあと一回、大学生ぐらいの年齢でへこんで。けど、Uターンで帰ってくるようです。結局そこの上がいなくなった時に、お墓の管理とか諸々で、なんとしても帰ってくる人が多い様子でした。
東先生:地元愛というよりは、その家を守るため?
青木先生:いやあ、でも結局はそれが地元愛なんじゃないかと思います。
東医師:確かに。一方で尼崎は遠方出身の人がこちらに来てという事もあるけど。
青木先生:宮古島は宮古島出身の人が圧倒的に多かったですね。

「ポートフォリオ」と向き合い、自身の成長を可視化する


東先生: 宮古島での経験を通じて、総合診療医としての力量が上がったという実感はありますか?
青木先生: 正直、自分ですごく成長したとは思いませんが、専門医になるための「ポートフォリオ」を作成する過程で気づきは多いです。作成するときに3年前の自分のカルテを見返すと、「できてないなあ…」と思うことが多くて。でも、そこに気づくということは、少しは成長できている証なのかなと感じています。「今ならこうするな」という意識が起こります。
東先生: まあ、どれだけ経験を積み重ねても、若い頃にやったことは全て若気の至りですし何年経験しても、1年前の自分がやったことは物足りなく感じます。でもそれを意識するのがポートフォリオのメリットかもしれない。ポートフォリオの作成は、単なる症例報告とは違った難しさがありますよね。
青木先生: そうですね。普通の診療をしているだけでは、ポートフォリオで求められる「優」のレベルにはなかなか届かないと感じます。患者さんの病気だけでなく、その方の家族背景や今後の人生まで見据えて、自分がどう関わったかとかを意識して診ないと難しいと感じています。
東医師:「経験すれば出来るようになる」という考えに対して、プライマリ・ケア学会の人達が世界の教育について学んで「経験したから出来るようになるわけじゃないぞ」とイギリスなどでやっていたポートフォリオを取り入れた経緯があります。頑張っていって実績を積み重ねていってほしいです。
青木先生:優秀なポートフォリオを見る機会があまりないので、公開してほしいけど患者さんの個人情報もあるからあまり見られないので…ポートフォリオのレベルアップが難しい。でもレジデンシー近畿は比較的、総合診療医を輩出しているプログラムなのでデータの集積があると感じています。
東医師:指導医から見て、研修医が患者さんと向き合うことですごく成長してるなあっていうのが実感できるポートフォリオっていうのは、やっぱり素直に感動できるんですよ。その「感動」っていうのが、症例報告には絶対ない要素で。
青木医師:感動は…させられてないと思います。
東医師:いやいやいや、素直にね、素直に自分が患者さんから学んだことを書けば、基本は良いポートフォリオになるんですよ。ただ、良いポートフォリオにするためには「できてなかったんで、次うまくやりたい」だとダメだって話で。「できるようになりましたぜ」っていうのが、まあ良いポートフォリオになるわけです。

これからの目標は「診療所で役立つスキル」


東先生: 今後の研修で、特に力を入れていきたいことは何ですか?
青木先生:このレジデンシー近畿のプログラムは、僕の年度で言うと半年間は本当に自由な期間があって。 結構ここは一番悩んで、僕は、整形外科と、あとちょっとだけ放射線科も回ろうかなと。
読影じゃなくて、放射線技師の、レントゲンの撮影を教えてもらおうかなと思ってて。やっぱり診療所に行くと、骨折をしっかり見たいなと。転んで手をついて「手首が痛い」って患者さんから言われた時に、やっぱりなかなか診療所だと、「技師さんがいないのでできない」とか。本田診療所以外のどの診療所でも、技師さんはいないけどレントゲンの設備はあるってことは多いので、そういうことを出来るようになりたいです。残りの研修期間で、より実践的なスキルを身につけたいです。具体的には、整形外科領域のレントゲン撮影技術や心エコーですね。
東先生: 診療所へ行っても自分で色々できるような、テクニカルスキルを。
青木先生:そうですね。それこそやっぱり診療所で、僕はまだ継続診療所勤務じゃないんですけど、患者さんが他の曜日にも来られる人だったら「別の曜日に来て画像を撮りましょうか」って言えるんですけど。そうではないと、やっぱりその時に撮るか撮らないか、他院に紹介するのかということになるので。その場で撮れると患者さんにとっても、満足度があるかなと思って。診療所での勤務をやってきた中で、そのスキルは欲しいなと思ったので、頑張ろうかなと思ってます。

AI時代に総合診療医が果たすべき役割


東先生: 最近はAIの医療への導入も話題ですが、どう考えますか?
青木先生: AIは、自分が考えていなかった鑑別診断を提示してくれるなど、補助ツールとしては非常に便利だと思います。ただ、AIが出した診断候補の中から、患者さん一人ひとりの状況に合わせて最終判断を下すのは、やはり人間の医師の役割です。
東先生:総合診療医は 「ドクターG」のような難病診断のイメージが先行しがちですが、それだけではないと。
青木先生: そうですね。「難しい病気を当てる」というよりも…『19番目のカルテ』とか、そういった総合医をテーマにしたドラマが流行ってくれたらいいなと思います。
東先生:確かに総合診療医が「便利な何でも屋」と取り扱われている場面を見ます。そういうところもあるけれど。「患者さんに関する何でも屋」なので、我々も発信していかないといけないなと思います。
青木先生:さっきの、「整形外科のレントゲン撮影が出来るようになりたい」っていう話ですけど、総合診療以外の他の科の先生は「出来ること」と「出来るようになること」とが決まっている感じがしますね。
東先生:そういうことが「できるようになりたい」と思うような経験をしたということが重要だと思う。こういう場所にいて、患者さんの期待に応えるようにしたいと。医学から出発するのではなくて患者さんから出発して自分のレパートリーを増やして。
青木先生:そうですね、そういうのを増やすという事でも、いろんな病院で研修することは大切だなと思いました。


珍しい病気を当てることよりも、患者さんの生活や気持ちに寄り添い、様々な問題を総合的に捉えて解決に導くことこそが、これからの総合診療医の本当の価値になっていくのかもしれません。
青木先生の成長の軌跡が感じられるインタビューをありがとうございました。